NIRAから政策レビューを送っていただいた。伊藤元重理事長など4人が「個の自律」をテーマに書いている。深刻化している雇用問題の根っ子には、制度の問題を超えて、個人を集団に帰属させて力を発揮する日本社会の限界がある。伊藤氏はこう書く:
内部労働市場と外部労働市場の関係は、こうした制度的な補完性の一部である。労働者が企業の中でスキルアップをし、様々な恩恵を享受するのが、内部労働市場の特徴である。優れた企業は雇用の場であるだけでなく、様々なサービスを提供してくれる。年金や医療保険、社宅をはじめとする諸々の付加的サービス、生涯の生活の安定、そして何よりも労働者に技能習得の機会を与えてくれる。

より多くの人が内部労働市場に囲われてしまえば、それだけ外部労働市場の成長は抑えられることになる。貧弱な外部労働市場は、労働者が企業間や産業間を移動することを難しくさせている。日本経済がグローバル化や産業構造の変化にスピーディーに対応できないのは、この点によるところが大きい。
つまり以前の記事でも書いたように、
  • 競争的な外部労働市場―成果に応じた賃金―容易な解雇―容易な転職
  • 内部労働市場による長期雇用―年功賃金―困難な解雇―困難な転職
という二つの均衡があり、こうした制度はワンセットになっているのだ。どちらも一貫した補完性をもっているので、その一部だけを取り入れてもうまく行かない。日本の企業で長期雇用を残したまま「成果主義」を形だけ取り入れても、うまく行くはずがない。

思えば戦後の日本は、競争的な市場と近代的な個人主義なしで成長が可能かどうかという実験だった。それは多くの進歩的知識人の予想に反して、一時期までは大成功だった。政府が金利を規制して貯蓄を奨励すれば成長率が高まることは理論的にも予想されることだ。

しかしRajanも指摘するように、日本やドイツのような国家資本主義モデルは、経済が成熟すると過少消費が成長を制約するようになる。他方、英米型の資本主義では金融市場が発達しているので、借金による過剰消費がいつも問題になる。

どちらがいいかは一概にはいえない。2008年の金融危機は英米型の極端な個人主義に警告を発したと同時に、日本や中国の過剰貯蓄も不安定要因になっている。そして日本では、その過剰貯蓄が急速に失われることがさらに問題を困難にしている。

いま日本の直面しているのは、個の自律を抑制する戦後的システムから、資本主義の原則とする個人主義への均衡選択なのだ。しかし新しい内閣も、依然としてそういうアジェンダを意識しているようにはみえない。補完的な制度をワンセットで変えないと、行き詰まりは打開できない。

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