バランスシートで考えれば、世界のしくみが分かる著者(高橋洋一氏)とは経済産業研究所の同僚だったころからほとんど意見は同じで、『財投改革の経済学』は名著としてその年のベストワンに推した。本書の大部分もこの本の普及版で、バランスシートに弱い官僚諸氏には読んでほしい。

しかし問題は、あいかわらず金融政策の部分だ。本書の117ページと同じ記述がZAKZAKにも書かれているので、それを引用しよう(原文のまま):
中央銀行のバランスシートが拡大するということは、マネーベース(日銀は金融機関に供給するお金)が拡大しそれによる通貨発行益が増加することになる。その通貨発行益が財政当局を通じて世の中に流れるので、最終的には物価を押し上げる。

このため、古今東西、ベースマネーの上昇率と物価上昇率には強い相関関係があり、経済学では「貨幣数量理論」といわれている。もっとも、日本の大学では貨幣数量「説」といわれて「理論」でないと教えているが、長い目で見れば、因果関係が明らかな「理論」だ。
こんな答案を学生が書いたら、不可である。貨幣数量方程式に出てくるMはベースマネーではなく、市中に流通するマネーストックであり、これは中央銀行が直接コントロールできない。したがってクルーグマンも指摘するように「ベースマネーの上昇率と物価上昇率の相関関係」はまったくない。今回の金融危機でもFRBはB/Sを2倍以上に拡大したが、物価は下がった。

このような「古マネタリズム」を著者が繰り返すのは、B/Sの概念を理解していないからだ。みんなの党の日銀法改正案を書いた公会計の専門家である桜内文城氏もいうように、「財政スタンス(財政赤字の累積額)が一定である限り、中央銀行がどれだけバランスシートを拡大させても、民間金融機関の貸出が増加しないならばマネー・ストックは増大しない」。

だから著者のいう「国債を買うのもケチャップを買うのも同じ」というのは誤りである。銀行から短期国債を買って準備預金を積み増す量的緩和では、日銀のB/Sの資産と負債が等しく増えるだけで緩和効果はない。それに対して日銀がREITやETF(あるいはケチャップ)を買うと、直接民間に通貨が供給されてマネーストックを増やすので、インフレ効果がある。

しかしこれは日銀が民間の投資家と同じリスクを負う財政政策なので、最終的には日銀納付金の減少などによって財政負担になる。これは長期債を買うQE2も同じで、議会から「隠れ財政政策だ」と批判を浴びている。だから量的緩和は効果がないが、「包括緩和」やQE2は(理論的には)効果があるはずだが、QE2の直後に長期金利が上昇したのをみると、緩和効果は出ていない。要するに、過剰債務で企業の資金需要がマイナスになっているときには、金融政策の効果はほとんどないのだ。

先日のニコ生では、著者も「労働市場などの構造問題については池田さんと意見は同じだが、構造改革は時間がかかる。金融政策にはコストも時間もかからない」と言っていたが、これは錯覚だ。金融政策の失敗は、アメリカの住宅バブルのように世界経済を破壊する膨大なコストをもたらす。労働市場の規制改革には予算はかからないし、政府が決めればすぐできる。必要なのは、政治の指導力だけである。