きのうは佐々木俊尚氏のつぶやきに端を発して、ソニーたたきで盛り上がったようだが、ソニーストアの対応ブラウザがIE6/7だというだけで「ソニーは死んだ」というのは大げさだろう。ソニーの症状は創業60年以上たった企業としては普通の大企業病で、他の大企業に比べて特にひどいわけではない。むしろ、まだ多くの人がソニーにこれだけ期待しているのは立派なものだ。
ただ辻野晃一郎氏も指摘するように、出井社長時代に採用されたアメリカ的な経営体制がガバナンスを混乱させた。以前の記事でも書いたように、「コテコテの日本企業」であるソニーに形だけ「株主資本主義」を持ち込む一方、抜本改革をしないで900以上の連結子会社を温存した出井氏が、ソニーをだめにした主犯である。
ただ辻野晃一郎氏も指摘するように、出井社長時代に採用されたアメリカ的な経営体制がガバナンスを混乱させた。以前の記事でも書いたように、「コテコテの日本企業」であるソニーに形だけ「株主資本主義」を持ち込む一方、抜本改革をしないで900以上の連結子会社を温存した出井氏が、ソニーをだめにした主犯である。
私は20年以上ソニーの株主として見てきたが、ソニーがイノベーターだったのはプレステ2ぐらいまでで、その後ヒットは出ていない。技術を知らない出井氏は、「ソニーの製品はすべてIPv6対応にする」とか「マイクロソフトと提携する」とかナンセンスな方針を出して、社内で浮いてしまった。
他方で「抵抗勢力」のアナログ部門の発言力が強いため、出井氏はそれに対抗するため、役員がactive investorとしてEVAなどの投資収益を見て組織を再編する手法をとった。ところがボトムラインだけでみると、キャッシュフローの潤沢なアナログ部門の収益がかえって高くなり、特に独占的なシェアをもっていた放送部門が強い発言力をもってインターネット関連の部門をつぶした。これに対して出井氏が毎年のようにカンパニーの再編を繰り返しているうちに、会社がバラバラになってしまった。
特に致命的だったのは、プレステ3の失敗だ。私はこれが発売されるとき、持続的イノベーションの失敗になると予告したが、その通りになってしまった。しかし不振の続くソニーの中で久多良木健氏だけが稼ぎ頭だったため副社長に昇進し、ネットワークや半導体まで統括する独裁者になった。彼はプレステ2を基盤にしたPSXを開発したが、テレビの録画機としては中途半端で失敗し、同時に別の事業部で開発された「スゴ録」がヒットした。ところが久多良木氏はスゴ録の事業部をつぶして、プレステの事業部に統合してしまった。
もう一つの失敗は、アップルのiTunesに対抗する音楽配信システムと携帯プレイヤーを開発できなかったことだ。このときも久多良木氏が配信システムを開発していた部門をつぶして自分の組織に統合したため、プロジェクトが空中分解してしまった。iTunesがその後のiPhoneやiPadなどの母体になってアップルを復活させたことを考えると、これを社内政治でつぶした久多良木氏は、ソニー没落の共犯といわれてもしょうがない。
このような縄張り争いや社内政治は、連結で16万人も従業員のいる大企業としては、それほど特別な現象ではない。出井氏の最大の罪は、アメリカ式経営を導入したことではなく、それを徹底しなかったことだろう。公式の会議ではボトムラインばかり問題になるが、実際の人事や組織は「力のある」役員が動かす。日本的な長期的関係は社内政治などの影響費用を減らす意味があるのだが、それを壊すと露骨な派閥抗争がまかりとおるようになり、日米の企業統治の欠点を合わせ持つ結果になってしまった。
よくいわれることだが、日本の企業は戦後の短期間に成長して挫折を知らなかったため、「大きな町工場」のままの会社が多い。こういう企業では、創業者のカリスマ性が求心力になっているため、出井氏のようなサラリーマン社長が継承するとコントロールを失ってしまう。この問題を解決する方法は、事業売却などによって規模を縮小し、コア業務に集中するしかないのだが、「雇用責任」を負って求心力の弱い社長にはそれもできない。これが日本の大企業の抱えるジレンマである。
他方で「抵抗勢力」のアナログ部門の発言力が強いため、出井氏はそれに対抗するため、役員がactive investorとしてEVAなどの投資収益を見て組織を再編する手法をとった。ところがボトムラインだけでみると、キャッシュフローの潤沢なアナログ部門の収益がかえって高くなり、特に独占的なシェアをもっていた放送部門が強い発言力をもってインターネット関連の部門をつぶした。これに対して出井氏が毎年のようにカンパニーの再編を繰り返しているうちに、会社がバラバラになってしまった。
特に致命的だったのは、プレステ3の失敗だ。私はこれが発売されるとき、持続的イノベーションの失敗になると予告したが、その通りになってしまった。しかし不振の続くソニーの中で久多良木健氏だけが稼ぎ頭だったため副社長に昇進し、ネットワークや半導体まで統括する独裁者になった。彼はプレステ2を基盤にしたPSXを開発したが、テレビの録画機としては中途半端で失敗し、同時に別の事業部で開発された「スゴ録」がヒットした。ところが久多良木氏はスゴ録の事業部をつぶして、プレステの事業部に統合してしまった。
もう一つの失敗は、アップルのiTunesに対抗する音楽配信システムと携帯プレイヤーを開発できなかったことだ。このときも久多良木氏が配信システムを開発していた部門をつぶして自分の組織に統合したため、プロジェクトが空中分解してしまった。iTunesがその後のiPhoneやiPadなどの母体になってアップルを復活させたことを考えると、これを社内政治でつぶした久多良木氏は、ソニー没落の共犯といわれてもしょうがない。
このような縄張り争いや社内政治は、連結で16万人も従業員のいる大企業としては、それほど特別な現象ではない。出井氏の最大の罪は、アメリカ式経営を導入したことではなく、それを徹底しなかったことだろう。公式の会議ではボトムラインばかり問題になるが、実際の人事や組織は「力のある」役員が動かす。日本的な長期的関係は社内政治などの影響費用を減らす意味があるのだが、それを壊すと露骨な派閥抗争がまかりとおるようになり、日米の企業統治の欠点を合わせ持つ結果になってしまった。
よくいわれることだが、日本の企業は戦後の短期間に成長して挫折を知らなかったため、「大きな町工場」のままの会社が多い。こういう企業では、創業者のカリスマ性が求心力になっているため、出井氏のようなサラリーマン社長が継承するとコントロールを失ってしまう。この問題を解決する方法は、事業売却などによって規模を縮小し、コア業務に集中するしかないのだが、「雇用責任」を負って求心力の弱い社長にはそれもできない。これが日本の大企業の抱えるジレンマである。