今週のJBpressの記事に、専門家からコメントをいただいたので、細かい話だが少し補足しておく。
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図はワイルの教科書のウェブサイトから借りたものだが、日本の高度成長が「戦前からのトレンドを延長したものに近い」というのは単純化しすぎだった。よく見ると、破線を引いたように戦前からのトレンドには1960年ごろに追いついており、そこからさらに成長して英米なみの成長率になって落ち着いている。これは新古典派成長理論でいう定常状態(steady state)に近い。資本/労働比率が一定になり、生産性上昇率≒成長率になっている。成長率が高かったのは、戦争でGDPが半減したためだ。

それでも戦前の1939年にアメリカの35%しかなかった一人あたりの所得が、わずか40年で先進国なみになった原因は、新古典派的に考えれば技術移転である。高度成長は先進国の技術をまねてキャッチアップする過程だったとみれば、これは新古典派成長理論の予想した通りだ。そして70年ごろを境に成長率が大きく下方屈折した原因も、日本が定常状態に到達し、それ以上は成長できない制約にぶつかったためと考えることができる。

その制約は直接には石油危機による資源制約だが、それを乗り超えた80年代以降も成長率が回復していない原因は、やはり技術制約しかない。全世界的に利用可能な技術が同一で、長期的には拡散すると考えると、70年代に日本はその天井にぶつかったと考えられる。そして90年代以降の「失われた20年」は、80年代に上ぶれした成長率が定常状態に戻る過程だ。

そう考えると日本の高度成長には余り奇蹟的な要因はなく、定常状態にハイスピードで収斂し、資源と技術の制約にぶつかっただけだ。そういう意味では「失われた」とみるのではなく、齊藤誠氏もいうように今の状態を新たな定常状態と考えたほうがいいのかもしれない。ただグロスでみると、かつて労働人口が急速に増えたために「奇蹟」と見えたのとは逆に、今度は急速な「逆高度成長」が始まるおそれが強い。

この図は対数グラフだからわかりにくいが、絶対的な一人あたり所得水準はアメリカの90%程度だから、あと10%ぐらいは改善の余地がある。それはワイルのいう効率性のマージンだろう。いいかえれば、資源や技術の制約があっても、労働市場の効率性を高めることによって衰退を停滞に変えることはできる。また若者に集中している財政や雇用の負担を平準化することは、彼らの消費を増やして需要サイドの成長要因になるだろう。しかし労組に依存する民主党政権では、それは望めない。