きのうの記事に、ツイッターで「イタリアに似てきた」というコメントがついたので、おもしろ半分にChikirinの日記の記事を紹介したら、大反響だった。たしかに
  • (政治)ぐちゃぐちゃ。こんな奴が首相でいいのか?と言いたくなるレベル
  • (首都)世界の人が憧れる大都市。ユニークに熟れた都市文化が存在
  • (教育)この国の教育レベルが高い、などという人は世界にいない
  • (食事)世界トップレベルの美味しさ。 世界中でブームが定着
といった特徴は、日本とよく似ている。しかし最大の違いは、イタリア人はそういう現状に満足しているのに、日本人は悲観しているという点だ。自殺率を比較すると、日本は10万人あたり24.4人で主要国でトップなのに比べて、イタリアは6.3人で最低。これはカトリックなので自殺の禁忌が強く、自殺を事故として申告するバイアスもあるが、なんといってもベルルスコーニ首相に代表される脳天気な国民性が大きい。

イタリアの政界は、世界的に「イタリア病」として知られるぐらい昔からぐちゃぐちゃで、ベルルスコーニも日本ならとっくに辞任しているほどのスキャンダルをいくつも抱えたまま居座っている。一時は政権から追放されたが、結局もとに戻った。彼のような「ずるい」タイプが尊敬され、正直者がバカにされるのがイタリアの国民性だという。

権力も財産も一部のファミリーに独占されているので、新しい企業が育たない。おかげで成長率はG7諸国で日本と最下位を争っているし、通信インフラも貧弱で頼りにならない。しかしみんな明るく、男はいつもナンパしているし、女は果てしなくおしゃべりしている。これはたぶん彼らの最盛期がローマ帝国の滅亡した1500年前に終わり、衰退することに慣れているからだろう。

法の支配などというアングロ=サクソンの習慣はないので裁判所は機能せず、汚職も脱税もやったもの勝ち。著作権法も機能していないので、イタリアでは国営放送RAIの番組がすべてウェブで見放題だ。イタリア的いい加減さのおかげで、コンテンツ産業では世界の最先進国になった。

最近の実証研究によれば、日本やドイツの戦後復興は「奇蹟」ではないという。それは戦争で国土が壊滅的な打撃を受け、分母が小さくなったために戦前と同じレベルに復旧するのが「高度成長」に見えただけで、70年代以降の両国の成長率は平凡なものだ。だから今の低成長が普通のペースだと思ったほうがいい。イタリア人のいい加減さを見習って、貧しくても楽しく暮らす習慣を身につけるのが、日本人の最大の課題だろう。