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春にしては肌寒い2015年3月20日、永田町の自民党本部だけは熱気を帯びていた。石原伸晃と小泉進次郎の一騎打ちになった総裁選挙が電子投票で行なわれ、わずか3票差で小泉が勝ったからだ。彼が来週、国会で首相に指名されると、田中角栄の54歳をはるかに超える、史上最年少の33歳の首相が誕生する。これから新総裁の記者会見が始まろうとしていた。それを中継する動画サイト「アップストリーム」の記者、菊池真由美は、高鳴りとも動悸ともつかない胸の苦しさを感じていた。
春にしては肌寒い2015年3月20日、永田町の自民党本部だけは熱気を帯びていた。石原伸晃と小泉進次郎の一騎打ちになった総裁選挙が電子投票で行なわれ、わずか3票差で小泉が勝ったからだ。彼が来週、国会で首相に指名されると、田中角栄の54歳をはるかに超える、史上最年少の33歳の首相が誕生する。これから新総裁の記者会見が始まろうとしていた。それを中継する動画サイト「アップストリーム」の記者、菊池真由美は、高鳴りとも動悸ともつかない胸の苦しさを感じていた。
自民党は2013年の総選挙で民主党から政権を奪還したが、谷垣禎一首相のもとで公明党との連立は回復したものの、衆参がねじれたままの不安定な政権運営が続いていた。最大の問題は、財政危機である。2014年にようやく消費税率を10%に上げたが、不況による所得税などの税収減でほとんどプラスマイナスゼロとなり、財政赤字は増え続けた。
2015年最初の国債入札では、長期国債が大量に売れ残る「札割れ」が起こり、長期金利が急上昇した。谷垣首相は「財政非常事態宣言」を出し、財政法第5条に定める国会決議によって売れ残った国債を日本銀行にすべて引き受けさせた。
しかしこれが「日本の財政はついに破綻した」というシグナルを市場に送る結果となり、邦銀はいっせいに国債を売り始めた。長期金利が1%上がると1兆円の損が出るといわれるメガバンクが大量に売ると、今まで横並びで国債を買い増していた「金融村」は、今度は横並びで売り始めた。外資系ファンドも大量の空売りをかけたため、国債は暴落して長期金利は10%を超えた。邦銀は数十兆円の含み損を抱え、日経平均株価は6000円を割った。
長い間デフレの続いていた日本経済だが、いったんインフレが起こると、それが増幅するのは速かった。邦銀が売った国債を日銀が買い取ると、市場にさらに通貨が供給され、50兆円以上の通貨が市場にあふれた。その結果、物価は1ヶ月で10%以上も上昇し、石油危機のときのような「狂乱物価」が始まった。
かつてと同じように、人々は現金を実物資産に替えようと走り出し、金先物の相場は1ヶ月で20%も上がった。円建て資産を売って外貨建てに替えようとする動きも広がり、為替は1ドル=150円まで下がった。これはさらに輸入物価のインフレを引き起こし、それによって金利が上がる・・・というインフレ・スパイラルが起こった。
これを止めるには日銀が国債の引き受けを止めるしかないが、それは日本政府の債務不履行を意味する。谷垣首相は歳出を凍結し、消費税を20%に引き上げる「緊急財政再建法案」を通常国会に提出したが、民主党の前原誠司代表が「歳出削減が先だ」と反対して、法案は参議院で否決された。このため谷垣内閣は総辞職し、総裁選挙が行なわれた。
自民党内では「このままでは日本経済が破綻する」という危機感が強まり、谷垣が後継指名した石原に対して、若手議員が結束して「ガラガラポンで行こう」と小泉を推した。総裁選挙で小泉は「新たな小泉改革を行なう」という主張を掲げて闘い、大方の予想を裏切って当選したのだ。
ざわついていた記者会見場が静かになった。小泉が入ってきたのだ。菊池は、キーボードから「オンエア開始」のサインを局に送った。小泉は、これから首相になるという気負いを感じさせない落ち着いた口調で「みなさん本日は、私にご支援をいただき、ありがとうございました」と述べて一礼した。そして彼は手元にある1冊の本を右手で掲げ、「私のやりたいことはここに書いてあります」と語り始めた。
その本は、経済学者ミルトン・フリードマンが、小泉の生まれる20年近く前の1962年に書いた『資本主義と自由』だった。1975年、マーガレット・サッチャーがイギリスの保守党党首に就任したとき、彼女はブリーフケースからハイエクの『自由の条件』を取り出して「これが私たちの信じているものだ」と宣言した。小泉の演出は、明らかにその有名なエピソードを踏まえたものだ。彼はこう切り出した。
「父が解散・総選挙をしてから10年。『小泉改革で格差が拡大した』といって改革をすべて振り出しに戻した人々がもたらしたのは、何だったでしょうか。マイナス成長、インフレ、そして財政破綻です。問題は小泉改革ではなく、それを徹底しなかったことにあるのではないでしょうか」。
そういって小泉は『資本主義と自由』の1ページをカメラに向かって見せた。アップストリームの画面では字は読めないが、菊池は学生時代にそれを読んだことがあった。
「この本の第2章の最後には、フリードマンの提案した14の政策があげられています。そのうち、この半世紀で実現したのは、徴兵制度の廃止など3項目しかありません。それは彼の提案が間違っていたからではなく、あまりにも世に先んじていたからです。そこで私は、この提案のうち、実現していない政策を10項目に整理し、これを私の任期中に実現することを約束します」。
こういって小泉は手元のタブレット・コンピュータを操作し、後ろの大スクリーンに「10の約束」を映写した。そこには次のような政策が書かれていた。
2015年最初の国債入札では、長期国債が大量に売れ残る「札割れ」が起こり、長期金利が急上昇した。谷垣首相は「財政非常事態宣言」を出し、財政法第5条に定める国会決議によって売れ残った国債を日本銀行にすべて引き受けさせた。
しかしこれが「日本の財政はついに破綻した」というシグナルを市場に送る結果となり、邦銀はいっせいに国債を売り始めた。長期金利が1%上がると1兆円の損が出るといわれるメガバンクが大量に売ると、今まで横並びで国債を買い増していた「金融村」は、今度は横並びで売り始めた。外資系ファンドも大量の空売りをかけたため、国債は暴落して長期金利は10%を超えた。邦銀は数十兆円の含み損を抱え、日経平均株価は6000円を割った。
長い間デフレの続いていた日本経済だが、いったんインフレが起こると、それが増幅するのは速かった。邦銀が売った国債を日銀が買い取ると、市場にさらに通貨が供給され、50兆円以上の通貨が市場にあふれた。その結果、物価は1ヶ月で10%以上も上昇し、石油危機のときのような「狂乱物価」が始まった。
かつてと同じように、人々は現金を実物資産に替えようと走り出し、金先物の相場は1ヶ月で20%も上がった。円建て資産を売って外貨建てに替えようとする動きも広がり、為替は1ドル=150円まで下がった。これはさらに輸入物価のインフレを引き起こし、それによって金利が上がる・・・というインフレ・スパイラルが起こった。
これを止めるには日銀が国債の引き受けを止めるしかないが、それは日本政府の債務不履行を意味する。谷垣首相は歳出を凍結し、消費税を20%に引き上げる「緊急財政再建法案」を通常国会に提出したが、民主党の前原誠司代表が「歳出削減が先だ」と反対して、法案は参議院で否決された。このため谷垣内閣は総辞職し、総裁選挙が行なわれた。
自民党内では「このままでは日本経済が破綻する」という危機感が強まり、谷垣が後継指名した石原に対して、若手議員が結束して「ガラガラポンで行こう」と小泉を推した。総裁選挙で小泉は「新たな小泉改革を行なう」という主張を掲げて闘い、大方の予想を裏切って当選したのだ。
ざわついていた記者会見場が静かになった。小泉が入ってきたのだ。菊池は、キーボードから「オンエア開始」のサインを局に送った。小泉は、これから首相になるという気負いを感じさせない落ち着いた口調で「みなさん本日は、私にご支援をいただき、ありがとうございました」と述べて一礼した。そして彼は手元にある1冊の本を右手で掲げ、「私のやりたいことはここに書いてあります」と語り始めた。
その本は、経済学者ミルトン・フリードマンが、小泉の生まれる20年近く前の1962年に書いた『資本主義と自由』だった。1975年、マーガレット・サッチャーがイギリスの保守党党首に就任したとき、彼女はブリーフケースからハイエクの『自由の条件』を取り出して「これが私たちの信じているものだ」と宣言した。小泉の演出は、明らかにその有名なエピソードを踏まえたものだ。彼はこう切り出した。
「父が解散・総選挙をしてから10年。『小泉改革で格差が拡大した』といって改革をすべて振り出しに戻した人々がもたらしたのは、何だったでしょうか。マイナス成長、インフレ、そして財政破綻です。問題は小泉改革ではなく、それを徹底しなかったことにあるのではないでしょうか」。
そういって小泉は『資本主義と自由』の1ページをカメラに向かって見せた。アップストリームの画面では字は読めないが、菊池は学生時代にそれを読んだことがあった。
「この本の第2章の最後には、フリードマンの提案した14の政策があげられています。そのうち、この半世紀で実現したのは、徴兵制度の廃止など3項目しかありません。それは彼の提案が間違っていたからではなく、あまりにも世に先んじていたからです。そこで私は、この提案のうち、実現していない政策を10項目に整理し、これを私の任期中に実現することを約束します」。
こういって小泉は手元のタブレット・コンピュータを操作し、後ろの大スクリーンに「10の約束」を映写した。そこには次のような政策が書かれていた。
- 農業補助金の廃止
- 関税の撤廃
- 最低賃金の廃止
- 企業に対する規制の撤廃
- 政府による電波の割当の廃止
- 公的年金の廃止
- 職業免許の廃止
- 教育バウチャー
- 郵政民営化
- 負の所得税