![Making Better Decisions: Decision Theory in Practice](http://ecx.images-amazon.com/images/I/51p-73bbJbL._SL160_.jpg)
その出発点は、プロスペクト理論で実験的にも証明された基準点の概念である。人間は外界の刺激を受けたとき、その絶対値をみて効用を最大化するのではなく、初期値からプラスかマイナスかに反応する。サイモンの限定合理性(bounded rationality)も、正確に訳せば「制約された合理性」であり、この制約条件となるのが基準点である。
そして人間はこの基準点となる現状(status quo)を維持するバイアスをもち、プラスの利益よりもマイナスの損失に強く反応する。こうした特徴は、おそらく進化の過程で、敵の襲撃に備えるために身につけた習性だろう。動物が動く対象にだけ注意を向けるのと同じである。人間も含めて、動物はつねに生命の危険にさらされて生きてきたので、得ることより失うことへの関心が強いのだ。
こうした保守的なバイアスは、不確実な未来に対処するとき、さらにはっきりする。標準的な意思決定論の想定している期待効用理論は、現実の人間の行動を説明する役には立たない。人はベイズの定理のような機械的なアルゴリズムで決定してはいないからだ。ラムズフェルドの分類でいえば、出来事には事実(known known)とリスク(known unknown)と不確実性(unknown unknown)がある。人々は不確実性よりもリスクを、リスクよりも事実を求め、利益が小さくても確実なものを選ぶ。
つまり人間は、すべての出来事を客観的に比較して意識的に選択するのではなく、何もないかぎり習慣的に行動し、不利な変化が起きたとき受動的に反応するのだ。これは幸福度を考える場合も重要である。日本人の幸福度を絶対的な所得で計測すればジンバブエよりはるかに高いが、日本の自殺率はジンバブエの3倍である。豊かでストレスの多い社会より、貧しくても安定した社会のほうが幸福なのだとすれば、人々にそういう多様な選択を与えるのが成熟した国なのかもしれない。
そして人間はこの基準点となる現状(status quo)を維持するバイアスをもち、プラスの利益よりもマイナスの損失に強く反応する。こうした特徴は、おそらく進化の過程で、敵の襲撃に備えるために身につけた習性だろう。動物が動く対象にだけ注意を向けるのと同じである。人間も含めて、動物はつねに生命の危険にさらされて生きてきたので、得ることより失うことへの関心が強いのだ。
こうした保守的なバイアスは、不確実な未来に対処するとき、さらにはっきりする。標準的な意思決定論の想定している期待効用理論は、現実の人間の行動を説明する役には立たない。人はベイズの定理のような機械的なアルゴリズムで決定してはいないからだ。ラムズフェルドの分類でいえば、出来事には事実(known known)とリスク(known unknown)と不確実性(unknown unknown)がある。人々は不確実性よりもリスクを、リスクよりも事実を求め、利益が小さくても確実なものを選ぶ。
つまり人間は、すべての出来事を客観的に比較して意識的に選択するのではなく、何もないかぎり習慣的に行動し、不利な変化が起きたとき受動的に反応するのだ。これは幸福度を考える場合も重要である。日本人の幸福度を絶対的な所得で計測すればジンバブエよりはるかに高いが、日本の自殺率はジンバブエの3倍である。豊かでストレスの多い社会より、貧しくても安定した社会のほうが幸福なのだとすれば、人々にそういう多様な選択を与えるのが成熟した国なのかもしれない。