きのうのNHKスペシャル「862兆円 借金はこうして膨らんだ」は、大蔵省が赤字国債をきらっていたことを「内部文書」で検証していたが、そんなことは周知の事実である。80年代まで大蔵省は、不況のときは(歳入が不足するので)増税し、好況のときは減税する「逆ケインズ政策」をやっていた。先進国が財政赤字とインフレに悩まされる中で日本が財政規律を守ってきたのは、法学部出身の官僚がケインズ理論を知らないことが幸いしたのだ。

しかし90年代のバブル崩壊後、海外留学や経済理論研修でケインズ理論を勉強した若手が「不況のときは財政赤字にすべきだ」と主張するようになり、それまでの均衡財政主義が崩れた。おかげで90年代前半には「経済対策」を繰り返し、財政赤字が積み上がった。これに危機感を抱いた橋本政権は「財政構造改革会議」を開き、消費税の引き上げを決めた。だが1997年4月の消費税引き上げによって、回復し始めていた景気は「腰折れ」してしまった・・・とよくいわれるが、Nスペはこの原因を「大蔵省は97年末以降の信用不安を予測できなかった」と正確にのべていた。


実質GDP成長率(速報ベース)

上の図からも明らかなように、97年の1~3月期までに増税前の駆け込み需要でGDPが上がった反動で、4~6月期には成長率がマイナスになったが、10~12月期にはプラスに回復している。98年の1~3月期に大幅なマイナスになったが、これを要因分解して計量分析した井堀・中里・川出はこう結論している:
個人消費について消費税引き上げ前の駆け込み需要と引き上げ直後の反動減がみられるものの,1997年央に消費者のマインドは回復しており,また,住宅投資等一部に消費税引き上げの影響が見られるものの,総じてみるとこの時点では生産や雇用環境にも悪化はみられない。

消費者のマインドが急速に落ち込んだのは,大手金融機関の破綻が相次いだ1997年11月以降のことであり,これが1997年第4四半期の循環的変動のショックとして現れている。これを受けて1998年央にかけて生産や雇用関連の指標も急速に悪化している。
ところがマスコミは、この不況を「橋本政権の失態」とか「大蔵省の財政原理主義が不況をもたらした」と攻撃した。自民党の道路族なども勢いづき、98年には小渕内閣のもとで史上最大のバラマキ公共事業が行なわれた。97年の危機を誤解(あるいは曲解)した政治家に大蔵省は敗れ、財政支出に歯止めがきかなくなった。これが今日に至る財政危機の分岐点だった。

90年代なかばには、巨額の不良債権の存在はわかっていても実感がないので、先送りしていればそのうち何とかなるだろうと誰もが思っていた。96年には日経平均は2万2000円の高値をつけた。ところが小さなきっかけ――97年11月の三洋証券の10億円のデフォルト――で危機が一挙に表面化する。これで自民党はやっと不良債権の最終処理を決意するかと思えば、逆に「緊縮財政が間違いだった」と総括して超放漫財政に転換してしまった。

今の状態は、96年ごろに似ている。財政が危険な状況にあることはわかっているが、長期金利は1%以下になり、円は強くなり、「財政危機はフィクションだ」とか「政府債務は踏み倒せばいい」と公言する人々が出てくる。三洋証券のようなほんのわずかな事件で国債の暴落が起こるリスクは高まっているが、その実感はない。

97年の教訓は、危機が起こってもその意味は必ずしも正しく認識されないということだ。数年後に大インフレと金利上昇で財政も経済も破綻したとき、民主党政権がその意味を理解し、正しく対応できる可能性はゼロに近い。20年間たまった日本経済のひずみが97年のような(あるいはそれ以上の)事態をもたらすことはほぼ確実だが、日本は「焼け野原」になっても立ち直れないかもしれない。