戦後日本経済論 ―成長経済から成熟経済への転換日本のいわゆるデフレの実態は長期不況であり、それを脱却するには成長率を上げるしかない――これは多くの経済学者のコンセンサスだが、ではどうすれば成長率が上がるのか、という点についてはコンセンサスがない。本書は戦後の高度成長の時期についての多くの実証研究をサーベイし、それが一度きりの幸運だったのかもしれないと示唆している。

日本の戦後の成長の要因を、終戦直後の「傾斜生産方式」や、銀行による産業金融などの計画経済的な手法に求める見解が多いが、本書は実証データにもとづいてこうした通説を否定し、戦後の日本経済の出発点を1940年代末からのドッジ・ラインに求める。それは統制経済をやめてインフレに終止符を打ち、日本経済を「普通の自由市場」にした。それは90年代のアジア金融危機に際してIMFの行なった介入と同じく、短期的にはデフレをもたらしたが、長期的には不良企業を整理して経済の効率を高めた。

その後の日本の成長をもたらした最大の原因は、欧米で開発された技術と低賃金の労働力を組み合わせて工業製品を輸出したことだった。特に50年代から70年代にかけて農村から都市へ人口が移動したことで労働投入が増え、彼らの旺盛な消費意欲によって内需も増え続けた。こうした成長のパターンに「日本的特殊性」はなく、通産省が産業政策で「日本株式会社」を指導するといった実態もなかった(産業政策はほとんど失敗だった)。

高度成長が、このような欧米とのギャップを埋め、労働投入を増やすことによるものだったとすれば、そのキャッチアップが終わって人口移動が飽和すると、成長が止まるのは当然である。潜在成長率も、80年代にはすでに下がり始めていた。80年代後半のバブルは潜在成長率からの「上ぶれ」だったとすれば、日銀の最大の失敗は低金利政策によって高度成長を無理に延長し、バブルとその崩壊という形で「ハード・ランディング」させたことだろう。

著者は90年代以降の長期不況についてはほとんどふれていないが、高度成長がいろいろな好条件の重なった幸運だったとすれば、それが失われて先進国として成熟した日本の成長率が上がる可能性はないということになる。あまり喜ぶべき結論ではないが、それほど悲嘆にくれることもない「普通の老大国」になるということかもしれない。