正義論待望ひさしかったロールズの古典的名著の新訳が、ようやく来月出る。前の訳本(私も持っている)は最悪だったが、今回の訳者は信頼できる。サンデルのベストセラーで注目度も上がったので、これを機に日本でも本書が読まれ、「派遣村」のような幼稚な議論を卒業して正義や公平をめぐる学問的な論争が行なわれることを期待したい。

菅首相のいう「最小不幸社会」というのは――本人も知らないようだが――ロールズの格差原理に似ている。それはもっとも不幸な人の利益を最大化するかぎり不平等は容認されるというもので、不幸の最小化とも解釈できる。しかしこの主張は、サンデルをはじめ多くの人々の批判を浴びて、ロールズ自身ものちに大幅に修正した。

まず明らかなのは、この「不幸」は米国内に限定されているのではないかという批判である。これはロールズも認め、のちの『万民の法』では、グローバルな格差を問題にしているが、ここでは格差原理のような明快な原則は立てられない。

もう一つの問題は、サンデルも批判するように、格差原理も価値判断から中立ではないということだ。たとえば貧民の所得が同じでビル・ゲイツの所得が増えることはGDPを増やすが、格差原理には反する。ロールズは株価の上昇のような偶然によって格差が拡大することは不公正だというが、これは価値中立的な基準とはいえない。

センなどの経済学者が批判するのは、「無知のベール」といった人工的な条件で意思決定を行なう論理的な根拠がないということだ。ロールズの議論はゲーム理論の期待効用最大化モデルで定式化できるが、かなり特殊な利得行列を考えて個人がリスク回避的だと想定しないと、ロールズのような結論は出ない。

そんなわけで菅首相のスローガンは、彼が思っている以上に学問的な検討に耐えるが、その原理をまず適用すべきなのは、世界最大の世代間格差だろう。今週の火曜には、この問題をテーマにして、Ustream中継で城繁幸氏などと議論する予定だ。