Identity Economics: How Our Identities Shape Our Work, Wages, and Well-Being大反響を呼んだ『アニマルスピリット』の続編だが、残念ながら切れ味は前作ほどではない。簡単な解説がProject Syndicateに出ているが、要するに人々の意思決定の基礎にあるアイデンティティや規範などの固定観念を消費者行動の分析に取り入れようというものだ。

出ている例が民族差別とかジェンダーとかいう特殊アメリカ的な話なので、日本人は引いてしまうと思うが、理論的にはアカロフが参照しているのはプロスペクト理論のフレーミングの概念だ。つまり人々の選好はゼロから形成されるのではなく、遺伝的・社会的に与えられた基準点からの変化率で決まるという。

これはBinmoreのいうモデルを修正しながら意思決定を行なうという理論に似ており、Gilboaの事例ベース決定理論とも共通点がある。最初にあるのは効用ではなく信念(事前確率)で、それをベイズ更新することで意思決定が行なわれるという理論は、ある程度は数学的分析に乗るので、ネタが尽きて困っているゲーム理論の研究者にとっては有望な分野かもしれない。

意思決定がベンサム的な快楽計算で決まるという新古典派の功利主義は、サンデルに指摘されるまでもなく、認識論的にはきわめて幼稚なものだ。少なくともカント以降、認識の出発点は主体の側のカテゴリーであり、「裸の事実」はありえないというのは近代哲学の常識である。最近の脳科学でも、認識は脳のつくる先験的モデルの修正だというのがほぼ共通認識だろう。

ただ、こうしたカテゴリーや規範がどのように発生し、社会的に共有されるかというのはむずかしい問題である。ゲーム理論では長期的関係におけるフォーク定理で規範を説明するが、実は協力が成立するには全員が協力を予想しなければならない。このようなベンサム的計算で規範を説明するのは本末転倒で、規範が共有されて初めて長期的関係が成立するという本書の主張はもっともだ。

日本との関連では、1998年以降の失業の急増とともに自殺率が急増したのは、所得を失ったことより「会社員」というアイデンティティを失ったことが大きな理由だと思われる。「幸福度」を考える上でも、単に成長率を問題にするだけでなく、人々の帰属意識や不安といった面に配慮する必要があろう。

合理的決定の基礎に社会的に共有されたフレームがある、という「2段階決定理論」ともいうべき発想を、上に紹介したような巨匠がそろって提唱しているのは、もしかすると経済学にパラダイムの変化が起こる兆候かもしれない。まぁここ30年ぐらい、ずっとそういわれては何も起こらなかったんだけど。