ゆうべはニコニコ生放送で1時半まで開票速報につきあったが、誰が勝ったのかわからないフラストレーションの残る選挙だった。日本の政治には「大きな政府か小さな政府か」という対立軸がなく、民主党と自民党の中に両者が混在している。小さな政府を標榜しているのはみんなの党だけだが、それが大きな勢力になることは当分期待できない。この「対立軸の不在」を是正しないかぎり、まともな政策論争は成立しない。

こういう混乱した状況になった責任のかなりの部分は、小沢一郎氏にあると思う。1993年に彼が自民党を離党したときは、日本が変わるという期待感があった。『日本改造計画』には、歴史的な大局観と明確なロジックがあった。自由党のころまでそれは続いていたが、民主党と合流してから訳がわからなくなった。

それは変節なのかと思ったが、片山さつき氏によれば「改造計画は私の先輩がゴーストライターで、当時の風潮に合わせただけ。小沢さんの本質は田中角栄的な利益誘導よ」とのことだ。小沢氏の目的は権力を握ることで、政策はその手段にすぎない、と考えると辻褄は合うが、それではこの20年間の離合集散は何だったのか。

自民党政権は、1970年代に田中角栄によって大きく変質した。彼は金の力で政治を「市場化」し、公共事業で票を買うシステムを構築した。そのために官僚を利用し、彼らの権益拡大をはかった。今日の特殊法人や官庁の許認可権の多くは、田中以降にできたものだ。高度成長期には政策の良し悪しは問われなかったので、政策は官僚に丸投げし、政治家は利権追求に徹していればよかった。

しかし90年代以降、日本経済は大きく変わった。日本はグローバル化の波に取り残され、政治が長期的な戦略を出さないと経済の退潮は止まらなくなった。経済政策もハイテク化し、官僚にはついていけなくなった。それなのに自民党も野党も政策にコストをかけず、今回の選挙も「増税の持ち出し方がまずかった」と総括している。彼らはいまだに大事なのは政策ではなくマーケティングだと思っているが、これは大きな間違いだ。

かつて世界から賞賛された「日本的経営」は、実は経営者は何もしないで勤勉な労働者にただ乗りするだけだった。同じように政治家が霞ヶ関にただ乗りするシステムをつくったのが田中だが、いま日本企業のガバナンスが強く問われているように、政治も本来の役割を果たさなければならない。それなのに政治の中心にいる小沢氏が、いまだに「田中レジーム」を継承して旧態依然の利権政治を続けていることが、日本政治の迷走の原因だ。

さらに情けないことに、この20年間、小沢氏がずっと政治の主役で、いつまでたっても彼に対抗できるリーダーシップをもつ次世代の政治家が出てこない。この「リーダーの不在」が変わるには、政策よりも時間がかかるだろう。あと2、3回は選挙が必要かもしれないが、それまで日本経済がもつだろうか・・・