浜田宏一氏は私の学生のときのゼミの教官であり、彼が本書で激しく攻撃している日銀の白川総裁は、同じゼミの先輩である。したがって、この記事は客観的な書評ではなく、個人的な感想だと思っていただきたい。
浜田先生は人格高潔で、理論ばかりでなく実証研究でも日本のケインジアンの中心的存在だった。しかし私が浜田ゼミに入ったころから、空気は変わり始めていた。FriedmanやLucasの論文が発表され、その衝撃が世界に広がり始めていた。ケインズ政策が役に立たないことがはっきりし、大学院生はSargentの教科書でマクロ動学を勉強し始め、ケインズ理論で論文を書く研究者はいなくなった。
浜田先生は人格高潔で、理論ばかりでなく実証研究でも日本のケインジアンの中心的存在だった。しかし私が浜田ゼミに入ったころから、空気は変わり始めていた。FriedmanやLucasの論文が発表され、その衝撃が世界に広がり始めていた。ケインズ政策が役に立たないことがはっきりし、大学院生はSargentの教科書でマクロ動学を勉強し始め、ケインズ理論で論文を書く研究者はいなくなった。
浜田先生はそういう状況に怒り、「上野公園には失業者があふれている。フリードマンにはそういう人々への思いやりがない」と批判していた。ゼミではBlinder-Solowなどのケインジアンの論文を読まされたが、彼らの批判するFriedman論文のほうが圧倒的な説得力があった。それはケインズ政策がスタグフレーションをもたらす有害無益なものであることをきわめて明快に説明している、と(私を含む)多くの学生は思った。
本書を読むと、浜田先生はあのときからまったく変わってないんだなと思う。シカゴ学派の合理主義がきらいで、政府が温情主義で貧しい人を救わなければならないと説く。価格調整にまかせないで、政府や日銀がマクロ調整でお世話を焼くべきだと考える。政府が愚かな民間を指導するという「ハーヴェイ・ロードの前提」が抜けない。
しかし彼がいくら抵抗しても、70年代を境にマクロ経済学は決定的に変わってしまったのだ。彼もこうした状況には気づいているらしく、「日本の主流の金融経済学者は私のいうことに耳を傾けない」と怒り、金融の素人であるこの2人しか相手をしてくれなかったと正直に書いている。それなのに「日銀流理論」は世界の孤児だという。
違うんですよ、先生。悪いけど、孤児はあなたなんですよ。あなたはいつまでも日銀の役割が「金融緩和」だと信じているけど、RajanやBlanchardなど最先端の研究者の関心は金融仲介機能にあり、今回のFRBの危機管理政策と日銀の量的緩和を同列に扱う金融の専門家はいないんですよ。
彼の攻撃する弟子、白川総裁も、おそらく同じような感想をもっているだろう。天動説で天体を見ている人に、いくら日銀は世界の中心ではないと説いても無駄だ。せめて彼がこれ以上、晩節を汚さないことを祈りたい。したがって、この画像にはリンクを張ってない。
本書を読むと、浜田先生はあのときからまったく変わってないんだなと思う。シカゴ学派の合理主義がきらいで、政府が温情主義で貧しい人を救わなければならないと説く。価格調整にまかせないで、政府や日銀がマクロ調整でお世話を焼くべきだと考える。政府が愚かな民間を指導するという「ハーヴェイ・ロードの前提」が抜けない。
しかし彼がいくら抵抗しても、70年代を境にマクロ経済学は決定的に変わってしまったのだ。彼もこうした状況には気づいているらしく、「日本の主流の金融経済学者は私のいうことに耳を傾けない」と怒り、金融の素人であるこの2人しか相手をしてくれなかったと正直に書いている。それなのに「日銀流理論」は世界の孤児だという。
違うんですよ、先生。悪いけど、孤児はあなたなんですよ。あなたはいつまでも日銀の役割が「金融緩和」だと信じているけど、RajanやBlanchardなど最先端の研究者の関心は金融仲介機能にあり、今回のFRBの危機管理政策と日銀の量的緩和を同列に扱う金融の専門家はいないんですよ。
彼の攻撃する弟子、白川総裁も、おそらく同じような感想をもっているだろう。天動説で天体を見ている人に、いくら日銀は世界の中心ではないと説いても無駄だ。せめて彼がこれ以上、晩節を汚さないことを祈りたい。したがって、この画像にはリンクを張ってない。