菅首相に影響を与えているもう一人の経済学者が、政府税調の専門家委員長をつとめる神野直彦氏だ。「強い経済、強い財政、強い社会保障」というのは彼の言葉である。きのう「議論の中間的な整理」なるものが出たが、これは彼の個人的な感想で、税調としての答申ではない。彼の財政理論は独特なので、税調は混乱しているようだ。
・・・というより、正確にいうと神野氏の財政理論というのは存在しない。彼は金子勝氏と共著で何冊も本を書いているマル経の残党だからである。本書(リンクは張ってない)にも「経済学」はまったく書かれていないが、ちょっと読んだだけでも気分が悪くなるほど「新自由主義」の罵倒で埋まっている。
・・・というより、正確にいうと神野氏の財政理論というのは存在しない。彼は金子勝氏と共著で何冊も本を書いているマル経の残党だからである。本書(リンクは張ってない)にも「経済学」はまったく書かれていないが、ちょっと読んだだけでも気分が悪くなるほど「新自由主義」の罵倒で埋まっている。
新自由主義が家族やコミュニティなどの自発的協力をもっともらしく説教することは、喜劇ですらある。新自由主義では人間は、快楽と苦痛を一瞬のうちに計算する合理的に行動する「ホモエコノミクス(経済人)」だと想定されている。つまり、他者と協力し、「分かち合う」ことなどありえない人間観なのである。こんな調子で「小泉改革で格差が拡大した」という嘘が繰り返される。「強い社会保障で強い経済をつくる」というのも神野氏の持論だが、因果関係が逆だ。普通の経済学では、経済成長率が上がらないと社会保障も増やすことができないと考えるが、マル経では労働者階級に分配を増やして計画経済にすれば成長率が上がると考えるんだろうか。彼の理想とするのは国民負担率70%のスウェーデンらしいから、まだ40%しかない日本は、もっと「大きな政府」になってバラマキ福祉で「分かち合い」すべきだということなのだろう。
新自由主義の主張に従って労働市場への規制を緩和すれば、市場における所得分配は不平等になる。不平等が激化すれば、社会に亀裂が生じて、社会統合が困難となる。そこで新自由主義は「小さな政府」を目指すけれども、民主主義を弾圧する「強い政府」を主張することになる。
新自由主義が歴史への反動であることは、誰もが容易に理解できるはずである。実際、新自由主義は新しき時代のヴィジョンを提示するのではなく、崩壊する支配的利益を護持することをひたすら目指している。
「小さな政府」の条件が欠如したまま、「小さな政府」を強行した悲劇が、新自由主義の演出した貧困と格差の悲劇として演じられる。日本では1982年に中曽根政権が成立して以来、新自由主義的政策が強行されてしまうのである。