知性の限界――不可測性・不確実性・不可知性 (講談社現代新書)
社会主義が崩壊してから20年以上たっても、それがなぜ崩壊したのかを理解している人は少ない。それは計画経済が「非効率」だったからではない。1950年代までは社会主義のほうが効率的で、サミュエルソンはソ連の成長率がアメリカを抜くと予想していた。いまだにインフレ目標などの「社会工学」を信じる素人がネット上に多いのも、理科系の人には社会をメカニカルに理解する傾向が強いためだろう。
資本主義がすぐれているのは、それが効率的だからではなく(ハイエクの意味で)自由だからである。この自由とは、小飼弾氏が拙著を評した言葉を使えば、「自由が必要なのは、それを放棄できるほど我々は賢くないからだ」。新しい古典派の想定しているように未来を予知できる「代表的家計」があれば、自由は必要ない。

本書は、この本質的無知の問題を、いろいろな分野の専門家のシンポジウムという形式で解説したものだ。前著『理性の限界』は不確定性原理と不完全性定理と不可能性定理という答の出た定理の解説だったので、答を知っている人には議論を読む意味はないが、本書のテーマにしているヒュームの問題には答が出ていない(という答の出ている)問題なので、いろいろな立場から論じる形式が向いている。

ヒュームの問題とは、彼が『人間本性論』で指摘したように「太陽があす昇らないという命題は、それが昇るという肯定命題と同じく意味があり、矛盾もない」という命題である。何かの理由で、きょう地球の公転軌道が変化し、あすは太陽が見えなくなるかもしれない。規則的な事実をいくら列挙しても、その規則に従わない現象が起こる可能性はゼロではないのだ。

これは人間が何も知らないということではない。たとえば現在の光ファイバーによってどれだけの速度で信号が送れるかは、正確にわかる。しかし、過去の経験から論理的に未来の技術や市場を予知することはできないのだ。10年後に光ファイバーよりはるかに高速の無線技術が出てこないとは断定できないし、世界最大の通信業者はグーグルになっているかもしれない。社会主義が失敗したのは、政府が未来を予知できると考えて経済を「計画」したからである。

その意味で、ソフトバンクの提唱する「光の道」構想は、本質的に社会主義である。孫正義氏が現在のあらゆる技術的知識を知り尽くしていたとしても、30年後の技術や市場を予知することはできない。2001年に彼がADSL事業を開始したとき、NTTの人々は「こんなバカな技術は絶対に失敗する」と予想した。Yahoo!BBは、それをくつがえすイノベーションだったから成功したのである(この問題は来週のメールマガジンでくわしく解説する)。

その孫氏が「FTTHが30年償却で月額1400円になる」などという計画経済を主張するのは残念だ。未来を予知できると思い込んで「各社一丸」となって技術開発する通産省の産業政策は、すべて失敗した。もちろんそういうギャンブルが成功しないとも断言できないので、やってみる価値はあるが、そのリスクはソフトバンク1社でとってほしいものだ。

追記:メールマガジンの見本で、Yahoo!BBがなぜ成功したかを解説した。