
この贈与が何を意味するのかについては多くの議論があるが、中沢新一氏は解説で、その本質は互酬性(reciprocity)だとしている。これは最近の実験経済学の調査でも、ほとんどすべての社会に見られる原理である。それは必ずしも「利他的」な行動ではなく、贈与のネットワークによって社会を統合して紛争を防ぐ機能をもっている、というのがマリノフスキ以来の機能主義的な解釈である。
しかし中沢氏も指摘するように、クラには豊かなシンボリズムがあり、芸術や儀礼の役割もある。これは機能主義的な観点からは余計な部分だが、むしろこうした面にクラの本質があるのかもしれない。現代の女性が、原価数百円の香水に「シャネル」というブランドがつくと何万円も出すのと同じく、人々は古来から美的シンボルを消費してきたのである。
価値の源泉を労働に見出す古典派経済学も、その源泉を効用に見出す新古典派経済学も、こうしたシンボル的な側面を見落としている。有名な「水とダイヤモンド」の比喩でいえば、ダイヤモンドは労働生産物ではなく、大した効用(有用性)もない。女性がダイヤモンドをほしがるのは、それが有用だからではなく、彼女の社会的地位を象徴する美的な意味があるからだろう。
もちろん市場は、あらゆるものを商品として「脱意味化」するシステムであり、それを定量的に解析するには家計や企業が<何か>を最大化すると仮定するのが便利である。しかしその経済学が、成長率を決める最大の要因がイノベーションだという結論にたどりついたのは皮肉だ。イノベーションを生み出すのは労働でも効用でもなく、象徴的な意味の創造であり、「脱工業化社会」ではシンボルの価値は今後ますます高まるからである。