
経団連は、政府が「イノベーション・ハブ」をつくって技術革新を推進し、「知的財産保護を強化」するよう求めているが、こういう官民の合意によってイノベーションが生まれることはありえない。経営者はイノベーションを、マーケティング調査→社内のコンセンサス→技術開発→製造・販売という単線的なサイクルで考えるが、それは神話だと本書は断定する。
たとえば、かつて洗剤の史上最大のヒット商品となった花王の「アタック」は、小型の洗剤が売れるというマーケティングによって開発された製品ではなかった。当初の宣伝コピーは、酵素を使って「バイオが白さを変えた」というものだったが、いつも重い洗剤の箱を持ち帰る主婦が、その半分以下の重さですむアタックに飛びついたのである。
開発者も驚くようなイノベーションは、このようにマーケティングと関係なく生まれることが多い。特にIT機器やサービスになると、その傾向が強い。ITというのは基本的に生活必需品ではないので、iPodにせよFacebookにせよ、ブランドイメージやセンスなどの意味的な要因でヒットするものが多い。
いま必要なのは、市場の要望を組織的に「帰納」する論理実証主義型マーケティングではなく、個人が仮説を立てて市場に提案する芸術型イノベーションだ、と著者はいう。そこには決まった手順も多くの人々のコンセンサスもなく、一人のアーティストが一貫した意味を創造することが重要だ。それが市場に受け入れられるかどうかはやってみないとわからないが、プレゼンテーションのセンスまで含めてイノベーションなのである。
この観点から著者は、消費者が(所与の)効用を最大化するという経済学の功利主義を否定する。むしろイノベーションのモデルとなるのは、行動の隠れた意味を分析するエスノメソドロジーのような社会学や、認知意味論のような言語学の方法論であり、その基礎にあるのはポストモダン的な懐疑主義だ。霞ヶ関や財界の主導する「イノベーション立国」などという発想は、ほとんど名辞矛盾である。
日本の企業が立ち直るには、こうした発想の転換が必要だと思うので、セミナーでは現場のビジネスマンの皆さんと議論したい。
追記:本書は科学哲学をベースにしているのでかなり抽象的だが、著者の近著は具体例に即してマーケティングを論じている。