超訳 ニーチェの言葉近所の本屋で、このところずっと『超訳 ニーチェの言葉』という本がベストセラーのトップだ。発売1ヶ月で16万部を超えたという。立ち読みした感じでは、彼の箴言集から(版元のビジネスである)自己啓発に関連する言葉を拾い出したようだが、これはほとんど偽書である(リンクは張ってない)。ニーチェが口をきわめて攻撃した敵は、史上最大の自己啓発カルトであるキリスト教だったからだ。「超訳」ではなく、原文に忠実に訳すと(強調は原文)、
おお、私の兄弟たちよ! いったい人間の未来にとっての最大の危険は、どういう者たちのもとにあるのか? それは善にして義なる者たちのもとにあるのではないか? すなわち「何が善にして義であるかを、われわれはすでに知っており、さらにそれを体得してもいる。このことで今なお探究する者たちに、わざわいあれ!」と口に出し、心に感じている者たちのもとにあるのではないか?(『ツァラトゥストラ』)
これまで人間をおおってきた災いは、苦悩することそのものではなく、苦悩することに意味がないことだった。――そして禁欲的な理想は人間に、ひとつの意味を提供したのである! これが人間の生のこれまでの唯一の意味だった。[・・・]禁欲の理想が人間にこれほど多くのことを意味するということのうちに、人間が意志するものだという根本的な事実が、人間の<真空への恐怖>があらわに示されている。人間の意志は、一つの目標を必要とするものだということ――何も意欲しないよりは虚無を意欲することを望む者だということである。(『道徳の系譜学』)
キリスト教はあらゆるできそこないの人間、暴動を起こしたくてうずうずしている連中、失敗した輩、人類の中の屑やがらくたを、この手で自分のほうに手なずけてきたのである。魂の救いとは、ありていにいえば、「世界はを中心にして回っている」ということなのだ。「万人の平等権」という教えのもつ害毒――この毒を徹底的にまき散らしてきたのもキリスト教である。(『反キリスト者』)
道徳はできそこないの者どもがニヒリズムに陥らないように防ぐが、それは道徳が各人に無限の価値を、形而上学的価値を与え、この世の権力や階層とはそぐわない秩序のうちに組み入れることによってである。(『力への意志』)
道徳とは、今日のヨーロッパでは畜群道徳である。(『善悪の彼岸』)
ここでニーチェは、「何が善にして義であるかを知っている」と自称して人々を教え、<真空への恐怖>を埋めて救済するキリスト教の教説を、激しく攻撃している。ニーチェがポジティブな哲学者だというのは間違いではないが、それはプラトン以来の「ヨーロッパのニヒリズム」を全面的に否定した果てにたどりついた生の肯定であり、この本に書かれているようなお手軽な処世訓の対極にあるものだ。

人々に「生の意味」を与え、「あなたの年収は10倍になる」などという幻想を売り込む商売は、歴史上さまざまに形を変えて広く続いてきたし、これからも続くだろう。しかしそういう自己啓発を信じるのは無知な「畜群」だ、とニーチェは軽蔑し、彼らを飼い慣らして不幸に甘んじるように教えるキリスト教の欺瞞を攻撃した。それをつまみ食いして「人生を賢く生きる言葉」として紹介した本が売れる日本には、まだ絶望が足りないのだろう。

ニーチェの本質を知りたければ、こういう愚劣な本ではなく、ハイデガーの『ニーチェ』をおすすめする。これは講義録なので読みやすく、後期ハイデガーの代表作でもある。