鳩山内閣が迷走する一つの原因は、政権中枢に社会主義者や労組出身者が多く、市場経済を理解している人がいないことにある。その失敗を理解する上で、菅氏や仙谷氏などの出発点となった構造改革派を理解することは意味がある。

構造改革は、イタリア共産党の創立者であるグラムシやトリアッティが、マルクス=レーニン主義へのアンチテーゼとして提唱した思想で、その主な柱は議会主義による政権奪取と労働者管理による経営である。これはプロレタリアートの武装蜂起による革命を基本方針とするコミンテルンの方針とは異なるため、構造改革は国際共産主義運動の中では異端であり、日本でも左翼の主流となることはなかった。

議会主義は今となっては当然だが、重要なのは労働者管理である。これは19世紀のサンディカリズム以来、社会主義の主流であり、マルクスが構想したのもレーニン的な国家社会主義ではなく、労働者が資本を共有して生産をコントロールする「自由な個人のアソシエーション」だった。その意味では、構造改革はマルクスの思想のすぐれた後継者であり、「ユーロコミュニズム」として欧州の社民勢力に強い影響を与えた。今でも欧州には、企業への労働者参加が制度化されている国が多い。

グラムシの生きた20世紀前半は、彼の命名したフォーディズムの時代だった。労働者が機械の一部とされ、資本家の命令によって管理されるオートメーションは、「人間疎外」の元凶であり、工場の管理を労働者が取り戻し、みずからの主人になるという工場評議会の思想は、大量生産型の巨大企業に対するすぐれた批判であり、1968年の「5月革命」の思想でもあった。

しかし結果的には、工場評議会運動は挫折した。日本でも、終戦直後に行なわれた「生産管理闘争」は労働者管理を求める運動だったが、GHQによって弾圧された。だが「会社は労働者のものだ」という考え方は広く受け入れられ、日本の「労使協調」による経営の基礎になった。この意味で、しばしば指摘されるように、一時期までの日本企業は世界でもっとも成功した労働者管理企業であり、トヨタはポスト・フォーディズムのモデルとなった。

いま日本が直面している問題は、このような労働者管理企業の限界である。それは市場全体が拡大を続けているときは、配置転換や系列関係などのネットワークによって環境変化に柔軟に対応できるが、市場が収縮してネットワーク自体の存続がおびやかされると、意思決定が麻痺してしまう。労働者管理企業は全員のコンセンサスによって動くので、組織の一部を犠牲にして中枢が生き残る戦略的な判断ができないのだ。

資本主義が労働者管理企業よりすぐれているのは、残余コントロール権者としての株主がリスクもリターンも取るため、撤退や売却などの意思決定が容易なことだ。これは80年代以降の産業構造の変化にもっとも早く対応したのが、アメリカ企業だったことでも証明された。株主価値を基準にして企業を再構築する株主資本主義は、こうした大規模変化に強いのである。

この意味で、民主党が法制審に諮問した公開会社法は、日本企業が労働者管理を脱却しなければならないとき、労働者参加を法的に義務づける時代錯誤である。おまけに労働分配率と配当性向を取り違えて、日本の会社の「株主保護が行き過ぎている」などという話は、ナンセンスというしかない。いま日本に必要なのは、トヨタに代表されるポスト・フォーディズムの挫折を超えて、普通の資本主義を導入することである。