きょうは「検察が週刊朝日に出頭要請した」とかいうガセネタがツイッターをにぎわした。今のところ、この話で当事者に取材した報道はJ-CASTニュースだけだが、それによれば特捜部が週刊朝日の編集部に抗議のFAXを送ってきただけだ。朝日新聞東京本社も同様の事実を確認している。

こういう噂があとを絶たないのは、検察取材をしたことのない上杉隆氏が「検察がマスコミを自由自在に操っている」と思っているからだろうが、事実は逆だ。マスコミにとっても事件報道はベンチャー投資のようなもので、100のうち1も報道できない。NHKにはグリコ=森永事件について部屋いっぱいの資料があり、NHKスペシャルまで編集したが放送しなかった。犯人と目された人物の逮捕を警察が見送ったからだ。

もちろんこれは人権を考えれば当然だが、政治家や公人に疑惑がある場合には「疑わしきは報道する」のが原則だ。しかし政治家は人権を楯にとってすぐ訴訟を起こすので、調査報道はきわめて困難になり、「検察によると」というクレジットがなければ報道できない。いま新聞が報道している胆沢ダムの疑惑は、ずっと前から鹿島にからんで怪文書の出ていた話だが、上杉氏と違って新聞は怪文書や伝聞で書くわけにはいかない。訴えられた場合の「逃げ」として検察を使っている場合も多い。

政治家にも人権はあるので、それを尊重する必要はある。しかしこのようにマスコミが極端にrisk-averseになると、調査報道は不可能になる。ロッキード事件は明らかに中曽根=児玉ルートが本筋だったが、民間航空機の田中=丸紅ルートだけがスケープゴートにされた。このとき新聞は中曽根についてかなり思い切った報道をしたが、今ならすべて圧殺されるだろう。立件されていない政治家の疑惑を報道することは、今は許されないからだ。

私の経験からいうと、問題はマスコミが事件を過剰に報道することではなく、「お上」のクレジットなしに報道しなくなったことだ。新聞が独自に疑獄事件を発掘したのは、20年以上前のリクルート事件が最後である。自分だけ責任を負いたくないから、どんなにあやしくても強制捜査が行われるまでは報道せず、逮捕された途端に報道が集中し、あることないこと書き立てる立件バイアスがあるのだ。これは記者クラブだけでなく、週刊誌やワイドショーも同じである。マスコミが衰退していることは事実だが、問題は彼らの報道することより報道しないことの中にある。