きのうの大学入試センター試験の国語に、岩井克人氏の『二十一世紀の資本主義論』(*)が出題されていた。けっこうむずかしい文章だと思うけど、高校生にこの論旨が理解できるんだろうか:
産業革命から250年、多くの先進資本主義国において、無尽蔵に見えた農村における過剰人口もとうとう枯渇してしまった。実質賃金率が上昇しはじめ、もはや労働生産性と実質賃金率とのあいだの差異を媒介する産業資本主義の原理によっては、利潤を生み出すことが困難になってきたのである。あたえられた差異を媒介するのではなく、みずから媒介すべき差異を意識的に創りだしていかなければ、利潤が生み出せなくなってきたのである。その結果が、差異そのものである情報を商品化していく、現在進行中のポスト産業資本主義という喧噪に満ちた事態にほかならない。
これは一時「ポストモダン的な資本主義論」として流行したが、岩井氏も認めるように、彼が学生時代に学んだ宇野弘蔵の理論の焼き直しである:
G―W―G'の形式は、具体的には資本主義に先立つ諸社会においても、商品経済の展開と共に、あるいはむしろその展開を促進するものとしてあらわれる商人資本に見られるのであるが、それは商品を安く買って高く売るということにその価値増殖の根拠を有するものである。[しかし商人資本は]その価値増殖の基礎をなす相手を、いいかえれば自己の前提を自ら破壊することになるのである。『経済原論』pp.41-42、強調は引用者)
このように資本主義の根底に流通過程(市場メカニズム)を置き、その中で差異を生み出すしくみとして生産過程(産業資本主義)を考えたことが宇野の最大のイノベーションであり、「正統派」(共産党系)から強く非難された点でもあった。今から考えると、生産=労働こそ資本主義の本質だという正統派の発想は岩井氏のいう「古い人間主義」であり、非人格的な差異(価値増殖)に資本主義の本質を見出す宇野の発想はポストモダンだった。

宇野は、商人資本が発達すると利潤の源泉となる地理的な差異を縮める自己破壊な性格をもつのに対して、差異を生み出す搾取のメカニズムを内蔵する産業資本のほうがすぐれていると考えたのだが、岩井氏もいうように先進国では賃金の上昇によって差異が消滅し、産業資本主義の時代が終わろうとしている。かつては技術開発が差異の源泉だったが、それもすぐに模倣され、金融資本による鞘取りも今回の金融危機で困難になった。

まだ大きいのは新興国との賃金の差異で、この鞘が取り尽くされるには、あと20年はかかるだろう。かつての帝国主義では、植民地からの収奪という形で鞘を取ったため、宗主国としての権力を失うとイギリスのように没落したが、いま多国籍企業が行なっているのは資本統合によるグローバルな鞘取りである。これに受動的に対応しているかぎり、単純労働の賃金が国際水準に引き寄せられることは避けられない。

かつて日本が急速な成長をとげたのは、国際的な賃金の差異を埋めるエントロピーの増大に乗ったからだが、これから必要なのは差異を生み出してエントロピーを下げるシステムである。それには今までのように既存の技術の延長上でいいものを作るだけではなく、誰もやったことのないことをやる「突然変異」を生み出さなければならないのだ。

(*)指摘を受けて訂正した