きのうの記事には意外に大きな反響があり、いろいろなコメントやTBもついたが、すべてに答えることはできないので、MITの大学院生からの「会社は本当に株主のものか?」というTBに簡単にお答えしておこう。

きのうも書いたように、株式会社が株主のものであることは法的には自明である。しかし企業を公開会社にしなければいけないという法律はないのだから、「株主至上主義」がいやな経営者は、MBOで閉鎖会社にすればよい。現にアメリカでは公開会社の「閉鎖化」が進行している・・・というのが彼女への短い答である。

少しテクニカルな話を補足すると、学問的には株式会社より効率的なガバナンスがあるかどうかについては長い論争がある。特に日本企業のパフォーマンスが高まった80年代には、マイケル・ポーターなどが「長期的視野」で経営できる日本的経営がすぐれていると主張したが、のちに撤回した。日本企業は資本主義よりすぐれた「人本主義」だとかいう夜郎自大の議論もあったが、バブルとともに崩壊した。

多くのステイクホルダーの中で株主だけにコントロール権を与えることが効率的かどうかは、自明ではない。Hansmannは株式会社とそれ以外のNPOなどさまざまな所有形態を比較して、どういうガバナンスが望ましいかを法と経済学の立場から論じている。複数の生産要素にコントロール権を与えると交渉問題が生じるので、最大のボトルネックになる生産要素だけにコントロール権を与え、他の生産要素については契約ベースで調達することが効率的だというのが彼の結論である。

通常、企業の生産要素で最大のボトルネックになるのは、工場などの設備投資である。これは市場で取引できないサンクコストになるため、ホールドアップ問題が起ると過少投資が生じる。もう一つのボトルネックは人的投資だが、両方にコントロール権を与えて労使交渉のような形でリターンの分配を決める共同所有権は非効率的になるので、物的資本の所有権だけで企業をコントロールすることが効率的だ、というのがHartなどの契約理論の結論だ。

したがって企業のコントロール権は資本の所有権に限定し、労働サービスは市場で調達することが効率的である。企業特殊的な文脈的技能もサンクコストになるので、人的資本を守る工夫も必要だが、労働組合のような形で法的な交渉権を与えることは理論的には望ましくない。むしろ労働市場を柔軟にし、教育によって習得可能な専門的技能を労働市場で配分するることが望ましく、IT産業では技術の標準化によってそういう傾向が強まっている。

以前の記事でも書いたように、日本企業は一種の労働者管理企業である。こういう形態は、高度成長期のように企業がコンスタントに成長する漸進的変化に対応するには適しているが、こうした内部者コントロールは企業の存在そのものが脅かされる大規模変化には弱い。今の日本に求められているのは、株主のような第三者が会社の価値を客観的に判断し、必要なら企業を退出させるメカニズムである。

岩井克人氏の議論についても以前の記事でコメントしたが、「法人企業」が実在するのかという問題については否定的な意見が多い。岩井氏のいうように、ソフトウェアやサービス業では最大のボトルネックは物的資本ではなく人的資本なので、それをコントロールするしくみが必要だというのは、Rajan-Zingalesなどが論じた問題だが、その答は「ステイクホルダー資本主義」ではない。

独創的なイノベーションの価値が高まっているITなどの産業では、日本企業のようなコンセンサスで意思決定を行なうガバナンスが没落し、アップルやグーグルのように創業者が独断で決めて、彼が間違えたらつぶれるという19世紀型のオーナー企業の優位が顕著になっている。これは最先端のビジネスでは、企業を精神的に統合するintegrityが最大のボトルネックになっているためだというのが最近の研究の結論である。

したがって公開会社は必ずしも最適のガバナンスではないが、一定以上の規模の企業には適している。これを民主党のように厳重に規制すると、SOX法によってシリコンバレーでIPOがなくなったように、企業の自由度が制約されて成長率は低下する。まして労働者参加を義務づけて株主の所有権を制限する「改革」は企業統治の効率化に逆行し、ただでさえ低い日本企業の生産性を最低にする有害無益な規制である。