中国の習近平国家副主席と天皇の会見が、大きな政治問題に発展している。特に小沢一郎氏の記者会見が反発を呼び、「天皇の政治利用だ」とか「戦前の軍部と同じだ」といった批判が、産経から赤旗までそろって出てくるのには驚いた。特に週刊文春の見出しは、「小沢と鳩山は天皇に土下座して謝れ」。文藝春秋は、菊池寛が戦争協力の先頭に立った栄光ある歴史をもっているが、その反省もないのだろうか。

問題の「1ヶ月ルール」なるものは、法律でも政令でもなく、閣議決定さえ行なわれていない。このルールは法的拘束力のない慣例にすぎず、首相の指示がそれに違反したからといって、内閣の下部機関である宮内庁が指示を拒否することはできない。小沢氏がゴリ押ししたとかしないとかいう話は、手続き的な瑕疵がない限り、拒否の理由にはならない。法治国家とはそういうものだ。

過去にも1ヶ月ルールに反して会見が行なわれた前例があり、20分ぐらいの会見が天皇の健康に実質的な影響を与えることは考えられない。中国の国家副主席が天皇と会見するのは普通で、胡錦濤氏も1998年に副主席として来日したとき会見した。それを政治利用というなら、天皇の国事行為はすべて政治利用である。

むしろ私は、宮内庁の羽毛田長官の態度に軍部と共通するものを感じる。いったん面会を了解しておきながら、記者会見で首相を公然と批判するのは、他の官庁では考えられない。それは「天皇に関する慣例は憲法より上位にある」という戦前の感覚なのではないか。軍部はこのように天皇を超法規的存在にまつり上げ、「統帥権の干犯」を理由にして拒否権を発動し、陸軍大臣を引き上げるなどして内閣を倒し、暴走したのだ。

小沢氏の記者会見は、たしかに傲慢な印象を与えるが、その内容は論理的には間違っていない。首相が天皇の国事行為に「助言」することは、憲法にもとづく行為である。会見が国事行為ではないとしても、宮内庁は治外法権ではなく、天皇も法の支配に服すのだ。こんな当たり前のことを忘れて、すべてのメディアが「口のきき方が悪い」といった感情論で小沢氏をたたく翼賛状況は恐い。