事業仕分けが「財務省支配」だという論評が多いが、これはある意味では正しい。霞ヶ関にほとんど足場をもっていない民主党としては、財務省と組まざるをえないからだ。これは当面の戦術としてはやむをえないが、「官僚支配を脱却する」という民主党の戦略とは矛盾する。細川内閣のときも、小沢一郎氏が斎藤大蔵次官と組んで増税を強行しようとしたことが、政権を空中分解させる結果になった。

先日みんなの党の勉強会に招かれたとき、渡辺喜美氏も「鳩山政権の司令塔は財務省だ。彼らが公務員制度改革も埋蔵金もつぶし、一部の予算の事業仕分けだけでごまかそうとしている」と批判していた。国家戦略局は財務省主計局に代わるものだったはずだが、藤井財務相が予算編成権を渡すことを拒否して宙に浮いてしまった。だから「内閣予算局」を設けて主計局を内閣に移すというのが、みんなの党の政策だ。

これは戦略としては正しいが、それをどう実現するのかという戦術がはっきりしない。戦後マッカーサーによって軍も内務省も財閥も解体されたときでさえ、大蔵省だけは残り、その一元支配はかえって強まった。渡辺氏によれば、このときGHQの押しつけた職階法を大蔵省が換骨奪胎し、給与法で年功序列システムをつくったことが、今の「**年入省」ですべてが決まる硬直的な年功序列システムの始まりだという。

予算編成権を内閣に取り戻す試みとして、唯一ある程度の成果を上げたのが、小泉内閣の経済財政諮問会議だった。概算要求の前に「骨太の方針」で内閣が予算の重点を決め、「工程表」にしたがって政治主導でリードしてゆく方式は、一定の成果があった。民主党の国家戦略局は、実はそのときの諮問会議をモデルにしたのである。しかし諮問会議のパワーは小泉=竹中コンビの属人的要因に依存しており、小泉内閣が終わると財務省支配が復活してしまった。

だからダイヤモンドオンラインで渡辺氏もいうように、公務員制度改革が行財政改革のコアである。しかしこれにもっとも強硬に反対しているのが財務省だ。現在の人事システムを解体するということは、給与法によって全省庁の人事も握っている財務省の権力を奪うことになるからだ。だから財務省支配を脱却するには公務員制度改革が必要だ・・・という循環論法になってしまう。

この悪循環を脱却するのは容易ではないが、そのヒントが今回の事業仕分けにあるような気がする。衆人環視の中で予算を査定するのは、行政刷新会議の事務局も「一種の暴力装置」といっていたぐらい官僚にとっては恐い。いくら予算書が形式的に整っていても、官僚の説明を聞いていると「この人は自分の仕事を信じてないな」というのが伝わってしまう。スパコンのときも、仕分け人の金田康正氏(東大教授)が「スパコン開発を決めたときの4つの目的は何か」と質問したのに対して、文科省の官僚は答えられなかった。

恐いのは査定する側も同じで、GXロケットのように財務省の資料が間違っていたりしたら命取りになる。今年は民主党が概算要求の再提出を求めて1ヶ月半も時間を空費したためドタバタになり、プロジェクトベースの事業しか仕分けの対象にできなかったが、2011年度予算の編成では概算要求の前に人件費や行政経費や特別会計を含めた「骨太の仕分け」をやってはどうだろうか。

公務員制度改革についての議論もすべて公開すれば、誰が妨害しているのかがはっきりする。国家戦略室が(前の国会で流れた)民主党案をもう一度出し、それに反対する各省庁と討論会をやってネット中継すればいい。官僚が国益を守ろうとしているのか省益や私益を守ろうとしているのか、顔色を見ればすぐわかるのが映像の恐いところだ。「開かれた政府」という暴力装置をいかにうまく使いこなすかというメディア戦略が、民主党政権の命運を左右するような気がする。