日本の競争戦略菅副総理は、いま日本の成長戦略を「深く考慮中」だそうである。「小泉・竹中路線が失敗した」という評価には疑問もある(2003年以降、成長率は上がった)が、それはともかく、日本の成長戦略を考える上での必読書を紹介しておこう。

本書は、2000年にマイケル・ポーターと一橋大学のチームが日本企業の高度成長期の成功と90年代の失敗の原因を分析したものだ。特に一時「日本株式会社」などといわれて過大評価された政府の役割を検証し、次のような結論を出している:
われわれは、広範にわたる成長産業において、日本型政府モデルに通じるような政府の役割は、全くといっていいほど存在しなかったことを発見した。[自動車・家電・精密機械などの]成功産業では、政府による大規模な補助金制度は存在せず、競争への介入もほとんど存在しなかった。
日本経済の長期的な成長力(潜在成長率)を引き上げるためには、企業の国際競争力や収益性を高める必要があるが、それを特定産業の保護によって実現することはできない。政府が補助金で「育成」しても、企業が自力で競争できる力をつけないかぎり、成長を長期的に維持することはできない。むしろ農業に典型的にみられるように、政府が介入して競争を制限することは産業を壊滅させてしまう。
日本型政府モデルの根幹にある諸政策が、失敗産業においては顕著にみられる。たとえば民間航空機産業は、産業全体が実質的には一つの共同事業体のようなものであった。通産省の重点育成政策の対象であった化学産業では、価格統制が広く行なわれていた。ソフトウェア産業においては、広範な補助金と税制優遇があった。コンピュータ・サービス会社に対する融資保証は、情報処理振興協会を通じて与えられた。[・・・]これらの競争制限的な政策は、生産性向上に寄与するどころか、むしろそれらを妨げる方向に働いたのである。
この産業政策に対する全面否定には、異論もある。たとえば自動車産業には政府の補助金は出なかったが、高率の関税は60年代まで残り、興銀などの産業金融は自動車産業に重点を置いた。また繊維・造船などの構造不況業種の退出に際して、設備の共同廃棄などのカルテルによって廃業を円滑化した。これは資本市場による事業売却が困難だった時期には、生産要素を移転する役割を果たした。

いずれにせよ成長戦略とは、環境とか福祉とか特定の産業を政府がターゲティングして補助金で育成することではない。そういう政策は(主観的には善意であっても)結果的には競争を制限し、国内市場を海外から隔離し、企業の生産性を下げてしまう。スパコンを競争力のないITゼネコンから海外に売れない高価格で調達することは、ミルトン・フリードマンのいう「死の接吻」である。成長戦略とは、規制改革によって(資本・労働市場を含む)市場を競争的にする競争戦略であり、そのための予算はほとんどいらないのだ。