けさの私のつぶやきには200近いコメントがついた。勝間氏の話は10年ぐらい前のリフレ派の議論の劣化コピーで、あらためて論じる価値はないが、「対案はないのか」という類のコメントがあるので、少し問題を整理しておこう。

短く答えれば、日本経済の問題を一挙に解決する対案はない。今われわれの直面しているのは、戦後60年以上かかって日本経済の蓄積してきたきわめて複雑な問題であり、これに簡単な答はない。ティンバーゲンの有名な言葉のように、n個の政策目標を達成するためには、独立な政策手段もn個なければならない。勝間氏のいうように、これひとつ解決すれば他の問題もみんな解決するという「ボーリングの1番ピン」はないのだ。

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上の図は、Mankiwの新しい教科書からコピーしたもので、インフレ目標を下げることによって何が起こるかを示したものだ。くわしくはもとのテキストを見てもらうとして、GDPが自然産出水準Yallにあるとき、中央銀行がインフレ目標を2%から1%に下げて金利を引き上げると、動的集計需要(DAD)が下がり、それによって動的集計供給(DAS)が下がってGDPも下がる。しかし物価が下がると実質価格が上がるのでDASは増え、最終的にはGDPは自然水準に戻ってインフレも1%に下がる。ここでは物価上昇率は「1番ピン」ではなく、実体経済の需給関係が調整された結果として変化する「最後のピン」である。

重要なのは、インフレ目標やテイラールールのような事前に決定され公表されたルールにもとづいて、金融政策が予想可能で透明な形で運営されることだ。これを勝間氏が主張するように政治家が「高度な政治的決定」によって裁量的に決めることは、経済を攪乱するだけだ。インフレ目標は、日銀やFRBではそれほど厳格に運用されていないが、おおむね2%程度のインフレが望ましいという「物価安定の理解」は日銀も共有している。もし物価上昇率が2%以上になった場合には、日銀は利上げを行なうだろう。

問題は、実際の物価上昇率がターゲット以下になった場合である。Mankiwもこのモデルで重要な仮定は、人々が中央銀行の目標が必ず実現すると予想することだとのべている。金融引き締めの場合には、この予想は妥当だ。中央銀行が政策金利を上げたら資金需給は逼迫し、GDPは下がって物価も下がるだろう。しかし逆は必ずしも真ではない。名目金利がゼロに張り付いている場合は、利下げは不可能だ。おまけに資金の超過需要がないので、日銀がベースマネーをいくら増やしても銀行の貸し出しは増えない。

したがってゼロ金利の場合は、上のモデルと逆に中央銀行がインフレ目標を引き上げても、物価は上がらない。人々がそう予想すると、DADもDASも上がらないので、GDPは自然水準Yallのままでデフレも変わらない。今回の不況でもFRBのバランスシートは3倍以上にふくらんだが、アメリカはデフレ基調のままである。勝間氏がナイーブに信じているように「お札を印刷すればインフレになる」のなら、世界のデフレはとっくに解決しているだろう。

さらに本質的な問題は、こうした金融政策によって自然産出水準は変わらないということである。金融政策は、景気変動(自然水準からの乖離)を小さくすることはできるが、自然水準そのものはDADとDASというリアルな変数で決まるので、中央銀行が引き上げることはできない。「デフレという1番ピンが倒れれば、あとのピンも全部倒れて日本経済は回復する」なんて都合のいいことは起こらないのだ。ティンバーゲンもいったように、自然水準(潜在成長率)を引き上げるには別の政策が必要である。

その対案が何かという問題は、非常にむずかしい。私は率直にいって、そういう(実行可能な)対案が存在するかどうかも疑問だと思っているが、抽象的にいえばそれは自然水準そのものを引き上げる政策である。そのために必要なのは、短期的な財政金融政策ではなく、労働市場を柔軟にして労働生産性を引き上げるとか、資本市場を活性化して企業買収を促進するなど、生産要素の効率的な再配分だ。これはリフレのように単純明快ではなく即効性もないが、すべてを解決する「1番ピン」が存在しないと認識することは重要である。