先日紹介した他にも、このごろ廣松渉の論文集が次々に復刊されている。団塊オヤジに売れるのかもしれないが、それをパラパラ見ていると学生時代の記憶がよみがえってくる。あのころはまだ「左翼の影響を受けない奴は頭が悪い」という風潮があり、誰もが(わからないなりに)マルクスやレーニンを読んだものだ。民青はバカにされていたが、吉本隆明(ばななのお父さん)や廣松の知的な権威は高く、それぞれを信奉する党派もあった。
しかし最近、『蟹工船』のイデオローグとして活躍するのは、湯浅誠氏のようなドロップアウトや雨宮処凜氏のような芸能人などの、知的な権威とは無縁の人物ばかり。彼らの応援団(?)も、無内容な社会学的センチメンタリズムで、その中心人物はセクハラ教師。若者を引きつける知的な魅力がないため運動としても盛り上がらず、結果的には(新左翼のバカにした)連合や共産党のダミーになっている。
世の中では、社会主義は1990年前後に崩壊したと思っている人が多いようだが、70年代の新左翼の中心はノンセクト・ラディカルで、マルクス主義というよりアナーキズムに近く、国家権力を取る戦略もなければ取る気もないカルトみたいなものだった。70年安保のとき、すでに社会主義は思想としては終わっていたのだ。
60年安保のころは、スターリンを否定してトロツキーを復権させる運動があったが、70年ごろには現実の社会主義国の実態も明らかになり、それを倒して「労働者国家」を建設するというトロツキストの組織(第4インター)も消滅し、かつてはスターリン主義を否定するよりどころとなったレーニン主義や「本来のマルクス主義」も思想的に解体されていた。
しかし「社会を計画的に運営する」という思想だけは、その後も受け継がれた。経済学部の学生は「近経」を勉強するうちに、そういうconstructivismの誤りに気づくのだが、法学部では計画主義の影響がその後も残り、今でも霞ヶ関の基本思想は国家社会主義だ。民主党の議員も、60代以上はマル経しか知らないので、頭の中は亀井静香氏と似たようなものだろう。なぜ社会主義が崩壊したかを論理的に理解していないから、いつまでも国家が人民を救うという家父長主義が抜けないのだ。
理科系の人々にも、計画主義が強い。70年安保でもっとも戦闘的だったのは、工学部だった。社会を合理的に設計するという社会主義の思想は、工学部の発想と同じだからである。ORを学んだ鳩山首相の時代はまだ「社会工学」が信じられていたので、意外に計画主義が抜けていないのかもしれない。妙に湿っぽい所信表明演説も、気の毒な人々を全能の政府が救済するという「上から目線」なのではないか。
派遣村などの運動は、こうした家父長主義に甘える形で出てきた奇形的なものだ。本来の労働者としての正社員から疎外された「プレカリアート」の解放を求めるアジテーションは、昔の革マルの(他党派から嘲笑された)「疎外革命論」を思わせるが、最近の運動にはその程度の思想もないので、社会的なインパクトがない。「会社に骨を埋める正社員だけが正しい雇用形態だ」というのが、日本的資本主義の植え付けた欺瞞だということに気づいていないのだ。
社会主義が有害無益だったことは確かであり、そういう「大きな物語」がよみがえることはもうないだろう。しかしわれわれがマルクスから学んだもっとも重要な思想は、国家や企業を信じないという懐疑主義だった。その意味では国家に施しを求める派遣村も、そのリーダーを「国家戦略室」に迎え入れる菅直人氏も、左翼として堕落した国家社会主義である。
しかし最近、『蟹工船』のイデオローグとして活躍するのは、湯浅誠氏のようなドロップアウトや雨宮処凜氏のような芸能人などの、知的な権威とは無縁の人物ばかり。彼らの応援団(?)も、無内容な社会学的センチメンタリズムで、その中心人物はセクハラ教師。若者を引きつける知的な魅力がないため運動としても盛り上がらず、結果的には(新左翼のバカにした)連合や共産党のダミーになっている。
世の中では、社会主義は1990年前後に崩壊したと思っている人が多いようだが、70年代の新左翼の中心はノンセクト・ラディカルで、マルクス主義というよりアナーキズムに近く、国家権力を取る戦略もなければ取る気もないカルトみたいなものだった。70年安保のとき、すでに社会主義は思想としては終わっていたのだ。
60年安保のころは、スターリンを否定してトロツキーを復権させる運動があったが、70年ごろには現実の社会主義国の実態も明らかになり、それを倒して「労働者国家」を建設するというトロツキストの組織(第4インター)も消滅し、かつてはスターリン主義を否定するよりどころとなったレーニン主義や「本来のマルクス主義」も思想的に解体されていた。
しかし「社会を計画的に運営する」という思想だけは、その後も受け継がれた。経済学部の学生は「近経」を勉強するうちに、そういうconstructivismの誤りに気づくのだが、法学部では計画主義の影響がその後も残り、今でも霞ヶ関の基本思想は国家社会主義だ。民主党の議員も、60代以上はマル経しか知らないので、頭の中は亀井静香氏と似たようなものだろう。なぜ社会主義が崩壊したかを論理的に理解していないから、いつまでも国家が人民を救うという家父長主義が抜けないのだ。
理科系の人々にも、計画主義が強い。70年安保でもっとも戦闘的だったのは、工学部だった。社会を合理的に設計するという社会主義の思想は、工学部の発想と同じだからである。ORを学んだ鳩山首相の時代はまだ「社会工学」が信じられていたので、意外に計画主義が抜けていないのかもしれない。妙に湿っぽい所信表明演説も、気の毒な人々を全能の政府が救済するという「上から目線」なのではないか。
派遣村などの運動は、こうした家父長主義に甘える形で出てきた奇形的なものだ。本来の労働者としての正社員から疎外された「プレカリアート」の解放を求めるアジテーションは、昔の革マルの(他党派から嘲笑された)「疎外革命論」を思わせるが、最近の運動にはその程度の思想もないので、社会的なインパクトがない。「会社に骨を埋める正社員だけが正しい雇用形態だ」というのが、日本的資本主義の植え付けた欺瞞だということに気づいていないのだ。
社会主義が有害無益だったことは確かであり、そういう「大きな物語」がよみがえることはもうないだろう。しかしわれわれがマルクスから学んだもっとも重要な思想は、国家や企業を信じないという懐疑主義だった。その意味では国家に施しを求める派遣村も、そのリーダーを「国家戦略室」に迎え入れる菅直人氏も、左翼として堕落した国家社会主義である。