ロゴフは「2%程度のインフレが望ましい」と書いているが、それが可能だとは書いていない。今回の金融危機で欧米各国の中央銀行はバランスシートを2倍以上にふくらませる極端な金融緩和を行なったが、デフレ状態のままだ。

ところが日銀の実務を知らないアマチュア経済学者に限って、日銀が大不況を一挙に解決できるかのような幻想を振りまく。他方、日銀は逆に「日銀は実体経済にあわせて受動的に金融調節をしているだけで、金融政策でできることは限られている」という。公平にみて、前者がナンセンスであることは明白だが、90年代前半の日銀にも逆のバイアスがあった。日銀にいる私の友人は、いくら利下げをしても不良企業を淘汰しないかぎり経済は回復しないと言っていた。

同様の現象はいろんな業界にあって、政治家や官僚はマスコミの影響力を「第一権力」として過大評価するのだが、マスコミの側は自分たちはただのサラリーマンで権力なんかないと思っている。これも公平にみると、ジャーナリスト一人一人の権力は小さい。ニュースに限っていえばデスクや編集長の裁量が大きく、取材記者が特定の政治家を攻撃するキャンペーンを張れるような力はない。ただ集団としてのマスメディアの力が官僚機構に劣らず大きいことは明らかで、どちらかといえばメディアの側にその自覚が足りない。

このように自分の業界の影響力を過小評価し、近接する業界を過大評価するバイアスは、いろいろな業界にあって、私は隣の芝生バイアスと呼んでいる。たとえば銀行と証券も同じようなことをずっと言い合ってきた。この原因は、行動経済学でいうフレーミングだと思う。日ごろから融資業務をやっている銀行員にとっては、金額は大きいが利鞘はわずかで、裁量の余地なんかほとんどないという仕事のフレームを知っているので、大したことはできないと思っている。他方、そういうフレームを知らない証券会社にとっては、銀行はメインバンクの力を利用すれば何でもできるように見えるわけだ。

しかしフレームを知っているインサイダーが客観的に判断しているわけでもない。キャリア官僚も、一人一人は残業ばかり多い裏方で、「私どもは政治家の先生方や業界の調整をしているだけ」というが、実際には彼らが調整のフレームを独占していること自体による権力が大きい。民主党の「官僚主導」に対する攻撃は、この意味では正しいのだが、事業仕分けのような既存のフレームの中での無駄の削減では限界がある。この点では、民主党が葬ってしまった公務員制度改革を進めるほうが、遠回りに見えるが効果的だろう。

サラリーマンの飲み屋の話題はだいたい半分ぐらい人事の話だが、その比率がもっとも高いのが官僚だ。彼らの話題の8割以上が人事で、「**さんは××年組なのに、1年下の○○さんのほうが先に局長になった」といった類の話を何時間もしている。彼らの権力は個人の実力ではなく年功制のピラミッド構造というフレームに依存しているので、天下りよりも年功序列を禁止し、政治家が官僚の人事をコントロールすることが霞ヶ関改革の第一歩だと思う。