朝日新聞によれば、政府が「日本版FCC」をつくることを決めたそうだ。これは民主党が昔から提唱している政策で、私も5年ほど前に議員立法の原案を見せられたことがある。そのとき「何のためにやるんですか?」と質問したら、提案者は「欧米ではみんなやっているから」としか答えられなかった。

7月の情報通信政策フォーラムでも、会場から「規制部門を分離したら具体的にどういうメリットがあるのか?」と質問されて、内藤正光氏(現副大臣)は「政府を批判する放送局を政府が規制するのはおかしい」と言っていたが、彼はFCCが政府機関ではないとでも思っているのだろうか。FCCは職員2000人以上の堂々たる政府機関であり、メディア局にはすべての放送を監視する職員がいて、不適切な放送には最高数十万ドルの罰金を科す。

そもそも特定の番組が適切かどうかを政府機関が審査する必要があるのだろうか。この点については、総務省べったりの広瀬道貞民放連会長でさえ、記者会見でFCCの委員5人のうち3人が与党推薦であることを指摘し、「時の政治から完全に無縁というのは難しいと思う」とした。日本では、BPO(放送倫理・番組向上機構)が放送内容への勧告などを行っている。「FCCによる判断と、BPOによる判断とどちらがいいのか」という質問に、広瀬氏は「私は今の段階ではBPOがいいと思う」とのべた。

私も広瀬氏に(珍しく)賛成だ。メディアの多様化した時代に、テレビだけを規制する現在の放送法がおかしいのであり、放送内容を規制する部門は廃止し、問題の解決はBPOのようなADR(代替的紛争処理機関)にゆだねるべきだ。通信についても同様に、規制をやめて電気通信紛争処理委員会にゆだねるべきだ。要するに、通信・放送の規制部門は分離するのではなく廃止し、当事者による司法的な解決にゆだねることが望ましい。

日本版FCCは、これまでアメリカの対日要求のトップにあがってきたが、総務省は反対してきた。橋本行革のときも、中間答申で出た「通信放送委員会」構想を野中広務氏を使ってつぶした。ところが今度は省内では「日本版FCC歓迎」だという。規制撤廃の圧力が強まる中で、それを独立機関に分離して法律をつくれば、現状の規制を固定できるからだ。そして分離された官僚たちは規制しか仕事がないのだから、規制を強化するインセンティブをもつ(この点はFCCも批判されている)。

しかしもちろん、官僚はそんなことはいわない。「私たちは分離には賛成ではないのですが、原口大臣がおっしゃるなら、組織エゴを捨てて分離しましょう」といって「政治主導」の形をつくってあげるのだ。

追記:レッシグもFCC廃止論を主張している。これこそ「2周遅れ」の議論なんですよ、原口さん。