今月の『文藝春秋』に出ている浜矩子氏の「ユニクロ栄えて国滅ぶ」という記事が話題を呼んでいる。日本経済のスーパースターと目されるユニクロが日本経済を滅ぼすと主張しているので、私も見出しに引かれて読んでみたが、唖然とした。彼女はこう書く:
この過激なまでの安売り競争は、さらに一段の不況地獄の先触れではないだろうか。少し落ち着いて考えてみればいい。250円の弁当で1食すませる生活が当たり前になれば、まともな値段の弁当や食事は「高すぎる」ということになってしまう。(強調は原文)
もう少し落ち着いて考えてみよう。「まともな」値段とは何だろうか。浜氏は原価に「適正利潤」を乗せた価格を想定しているようだが、これは誤りである。少なくとも経済学でいうまともな価格(均衡価格)は、限界費用と等しい水準であり、利潤はゼロになることが効率的なのだ。そういう競争をしたら「経済がどんどん縮小してゆき、デフレの悪循環に陥っていく」と彼女は書くが、そんなことは起こらない。ユニクロや弁当の値下げは貨幣的なデフレではなく、相対価格の変化なので、価格が限界費用と均等化すれば止まる。そして価格が下がれば需要は増えるので、ユニクロのように高い利益が上がる場合も多い。

この値下げ競争を防ぐために浜氏が提言するのは「限度を超えて安いモノは買うな」という政策(?)だ。具体的には「日本経済のために日産の人はトヨタの車を買い、トヨタの人は日産の車で通勤」すべきだという。こういう「国産品奨励」を保護主義というのだ(彼女は別の部分で保護主義を批判しているが、その意味も知らないようだ)。これは「デフレを止めるために安売りを規制しろ」と主張する後藤田正純氏と同じレベルである。

これ以上は説明するのもバカバカしいので、あとは大学1年生の教科書を読んでいただきたい。こういう話を商店街のおじさんがするならともかく、「同志社大学教授」がするのは困ったものだ。『グローバル恐慌』などというタイトルだけで読む気がしないので、浜氏の本は読んだことがないが、日本の自称エコノミスト(彼女は元三菱総研)が初等的な経済学も理解していないことを示す実例だ。これは「誰でもわかる経済教室?」だそうだが、(当ブログを読んで毎号送っていただく)文春の編集者にはシリーズの筆者を替えることをおすすめする。

グローバル化とは、浜氏のいう「自分さえよければ病」である。中国は日本の企業の迷惑なんか考えず、安い商品を輸出する。それによって日本の消費者は同じ所得で多くのものが買えるので、実質所得は上がる。市場経済では、企業が損しようが倒産しようが問題ではない。企業は消費者のために存在するのだから、最大化されるべきなのは消費者の効用であって、企業の利潤ではない。そして消費者の好む商品・サービスをもっとも安く提供する企業が生き残ることで、福祉は最大化されるのだ。

問題は要素価格の均等化によって日本の労働者の賃金が中国に鞘寄せされることだが、これは避けられない。IMFによればここ20年、グローバル化とskill-biased technological changeによって所得格差は拡大しており、特に単純労働者の賃金は世界的に均等化している。日本は労働市場が硬直化しているためにその影響は小さかったが、非正社員の増加という形でその影響が出ている。この潮流から自衛するする方法は、基本的には二つしかない。

第一は、金融やソフトウェアなどの新興国ではできないスキルを身につけ、新興国を生産基地として使う水平分業のハブになって利潤を上げることだ。これがIBMやアップルを典型とする、アメリカの多国籍企業が行なった戦略転換だが、日本でこうした転換に成功したのは、ユニクロなど数社しかない。ユニクロは日本を滅ぼすどころか、日本企業がグローバル化するロールモデルなのである。

第二は、福祉・医療・流通などの非貿易財やサービス業に労働人口を移動し、中国との競争から逃げることだ。サービス業の労働生産性は製造業より低いので、製造業から労働者が移動すると賃金が切り下げることは避けられないが、この部門は過剰に規制されているので、規制改革によって競争を促進すれば、生産性が上がって賃金も上がる。限界生産力説の教えるように、賃金を上げる方法は長期的には労働生産性を上げるしかないのだ。

このような「自分さえよければ」という社会を嫌悪する人が多いことは理解できるが、日本だけ「友愛」をとなえても、数億人の飢えた人口を抱える中国はつきあってくれない。自分だけそこから抜け出す方法は、保護主義と規制強化しかない。幸か不幸か「反グローバリズム」を標榜する民主党はそういう政策を選ぼうとしているようにみえるが、それこそ浜氏のいう「縮小均衡の道」である。