民主党の圧勝は、予想以上に大きな変化をもたらすかもしれない。ここまで大差になれば、参議院のねじれも自民党からの鞍替えや公明党の「中立化」によって解決でき、実質的に民主党単独政権になる可能性がある。そうなれば、小沢一郎氏の悲願だった「強い与党」として、思い切った改革もできよう。特に重要なのは、民主党がマニフェストにかかげた「官僚主導の政治の打破」である。
その試金石は、すぐやってくる。来年度予算の編成だ。例年なら、きょう概算要求が出そろって省庁間の話し合いも7割ぐらいついているが、今年は民主党が「国家戦略局」によってゼロベースで見直すとしているので、各省庁とも骨格しか出していない。新組織は「戦略室」として発足を急ぐそうだが、スタッフの人事が完了するには、どう急いでも1ヶ月はかかる。正味3ヶ月で一般会計+特別会計の200兆円をゼロから見直すのは、現実には無理だろう。細川政権のときも、政権が成立したのは8月だったが、翌年度の予算はほとんど手つかずで、「国民福祉税」など、かえって大蔵省主導が強まった。
大事なのは、国家戦略局の制度設計である。私がこれまで民主党の政策決定を外野でみていて危惧するのは、自前主義が強くて専門家の意見をあまりきかないことだ。数ヶ月前に、私が「民主党の政策には成長戦略が欠けている」と政調会長も出席した勉強会で指摘したのに、きいてくれなかった。選挙戦に入ってから自民党に指摘されて、あわててマニフェストを修正する始末だ。
このように専門家を軽視する自前主義は、霞ヶ関とよく似ている。官僚が審議会の委員に選ぶのは、自分たちのいうことをきく御用学者だけで、結論も役所が用意する。霞ヶ関が日本最高のシンクタンクだと信じているからだ。民主党内でも、自前のシンクタンクをつくろうという話があったが、小沢一郎氏は「政権を取ったら霞ヶ関を使えばよい」として自前主義を続けてきた。
たしかに個々の官僚は優秀だし、清潔だ。しかし組織になると、自己保存本能が強く働き、権限や予算を拡大した者が出世する。それをチェックしようとしても、政策が法律によってスパゲティ状にコード化され、省庁間で合意形成されているため、その内部構造を理解しないと手がつけられない。結果的に法案化作業はブラックボックスになり、自民党の政治家はペラ1枚だけみてOKを出し、官僚は実装の段階で省益を最大化するようにコーディングしてきた。英米型のシステムでは議員の政策を議会事務局が法案化するが、日本では法案化が官僚機構に丸投げされているため、立法機能が実質的に行政と垂直統合され、政策の中身まで官僚に囲い込まれているのだ。
これはゼネコン構造とよく似ている。きのうネットラジオ中継で、ITゼネコン出身の田端信太郎氏が「設計段階から丸投げされたら、自社のシステムでないと動かないように設計するのは当たり前だ」といっていた(*)。システムの設計を独自規格で囲い込み、アプリケーションも同じ会社でないと開発できないようにして末永くもうけるのが優秀な営業だ。この構造を変えないまま政治家を霞ヶ関に100人送り込んでも、今の副大臣や政務官のように「お客さん」になるだけである。
ITゼネコンが役所を食い物にするのは、官僚が専門知識をもっていないからだ。同じように官僚が政治家を食い物にしてきたのも、政治家が地元利益にしか関心のない素人だからである。「政治主導」を実現するには、自前主義を捨てて国家戦略局に外部の専門家を入れ、各省庁の法令担当を戦略局に集めて議会事務局のような機能をもたせる必要がある。民主党には「日本版ケネディスクール」をつくって自前の政策スタッフを養成しようという構想もあるようだが、そこでも法案化の訓練が重要だ。このようにして立法と行政を水平分離することが、官僚主導を打破する第一歩である。
(*)田端氏によれば、このテクニックを業界では「シャブ漬け」というそうだ。のりピーより、こっちのほうがはるかに深刻な中毒だ。
その試金石は、すぐやってくる。来年度予算の編成だ。例年なら、きょう概算要求が出そろって省庁間の話し合いも7割ぐらいついているが、今年は民主党が「国家戦略局」によってゼロベースで見直すとしているので、各省庁とも骨格しか出していない。新組織は「戦略室」として発足を急ぐそうだが、スタッフの人事が完了するには、どう急いでも1ヶ月はかかる。正味3ヶ月で一般会計+特別会計の200兆円をゼロから見直すのは、現実には無理だろう。細川政権のときも、政権が成立したのは8月だったが、翌年度の予算はほとんど手つかずで、「国民福祉税」など、かえって大蔵省主導が強まった。
大事なのは、国家戦略局の制度設計である。私がこれまで民主党の政策決定を外野でみていて危惧するのは、自前主義が強くて専門家の意見をあまりきかないことだ。数ヶ月前に、私が「民主党の政策には成長戦略が欠けている」と政調会長も出席した勉強会で指摘したのに、きいてくれなかった。選挙戦に入ってから自民党に指摘されて、あわててマニフェストを修正する始末だ。
このように専門家を軽視する自前主義は、霞ヶ関とよく似ている。官僚が審議会の委員に選ぶのは、自分たちのいうことをきく御用学者だけで、結論も役所が用意する。霞ヶ関が日本最高のシンクタンクだと信じているからだ。民主党内でも、自前のシンクタンクをつくろうという話があったが、小沢一郎氏は「政権を取ったら霞ヶ関を使えばよい」として自前主義を続けてきた。
たしかに個々の官僚は優秀だし、清潔だ。しかし組織になると、自己保存本能が強く働き、権限や予算を拡大した者が出世する。それをチェックしようとしても、政策が法律によってスパゲティ状にコード化され、省庁間で合意形成されているため、その内部構造を理解しないと手がつけられない。結果的に法案化作業はブラックボックスになり、自民党の政治家はペラ1枚だけみてOKを出し、官僚は実装の段階で省益を最大化するようにコーディングしてきた。英米型のシステムでは議員の政策を議会事務局が法案化するが、日本では法案化が官僚機構に丸投げされているため、立法機能が実質的に行政と垂直統合され、政策の中身まで官僚に囲い込まれているのだ。
これはゼネコン構造とよく似ている。きのうネットラジオ中継で、ITゼネコン出身の田端信太郎氏が「設計段階から丸投げされたら、自社のシステムでないと動かないように設計するのは当たり前だ」といっていた(*)。システムの設計を独自規格で囲い込み、アプリケーションも同じ会社でないと開発できないようにして末永くもうけるのが優秀な営業だ。この構造を変えないまま政治家を霞ヶ関に100人送り込んでも、今の副大臣や政務官のように「お客さん」になるだけである。
ITゼネコンが役所を食い物にするのは、官僚が専門知識をもっていないからだ。同じように官僚が政治家を食い物にしてきたのも、政治家が地元利益にしか関心のない素人だからである。「政治主導」を実現するには、自前主義を捨てて国家戦略局に外部の専門家を入れ、各省庁の法令担当を戦略局に集めて議会事務局のような機能をもたせる必要がある。民主党には「日本版ケネディスクール」をつくって自前の政策スタッフを養成しようという構想もあるようだが、そこでも法案化の訓練が重要だ。このようにして立法と行政を水平分離することが、官僚主導を打破する第一歩である。
(*)田端氏によれば、このテクニックを業界では「シャブ漬け」というそうだ。のりピーより、こっちのほうがはるかに深刻な中毒だ。