
しかし本書の見立てによれば、自民党政治の終わりは田中角栄の倒れた1985年に始まっていたという。田中は首相を退陣したあとも「闇将軍」として党内最大派閥を率いて実質的な権力を握り続けたが、これによって傀儡政権が続き、自民党内の意思決定が混乱した。1984年に竹下登のグループ「創世会」がクーデターを起こし、それに怒った田中は酒を飲み過ぎて翌年倒れた。創世会を旗揚げしたリーダーは小沢一郎氏と梶山静六氏であり、のちの経世会には鳩山由紀夫氏も岡田克也氏もメンバーとして加わった。
このころ田中的な利益分配の政治に限界が見え、日米貿易摩擦が激化して日米関係も変質し始めていた。「このままでは日本がアメリカにぶち壊される」という危機感から、中曽根政権は規制改革を打ち出し、前川リポートは外圧を使って「内需拡大」を打ち出して改革を進めようとした。ところが官僚機構は許認可権を離さず、内需拡大を「430兆円の公共投資」にすり替えて、逆に権限拡大をはかった。このとき外圧を利用して利権の拡大をはかったリーダーも小沢氏だった。
しかしこうした手法はバブル崩壊で行き詰まり、1992年の金丸事件の処理を小沢氏が誤って竹下派が分裂した。このとき小沢氏は、思い通りに動かなくなった自民党を壊すために、離党という荒技に出た。その後も彼の関心は自民党を割って社会党をつぶすことしかなく、政界再編を仕掛けては失敗を繰り返した――という「小沢史観」が本書のストーリーである。安直といえば安直だが、小沢氏の迷走が日本の政治の混乱の原因であることは否定しようがない。そしてこの政治の混乱が、日本経済の「失われた20年」の最大の原因だった。
こうみると、日本政治の直面している問題もプレイヤーも、20年前からほとんど変わっていないことに唖然とする。20年間にたまった宿題は山ほどあるが、まず20年前にやるべきだった規制改革をちゃんとやり、官僚支配を脱却することだ。そしてそれができる「プロの政治家」は、民主党には小沢氏しかいない、と著者はいう。残念ながら、それが日本の政治の現実だろう。
*アマゾンのタイトルは間違ってますよ。
小沢氏の失敗はいろいろありますが、その一つは1994年に渡辺美智雄氏を首相候補にしようとして失敗したことです。本書では、その原因を渡辺氏が寝過ごして小沢氏との会談をすっぽかしたことに求めていますが、私が当時の秘書に聞いた話では、次のような顛末です:
<羽田氏が蔵相としてモロッコに行っている間に、小沢氏が独断で渡辺氏との話を進め、不審を抱いた羽田氏が小沢氏の自宅をたずねたところ、留守だという。羽田氏が「どうせ2階にいるんだろ。出てくるまで帰らない」と応接間で待っていたら、渡辺氏から電話がかかってきて羽田氏が取った。渡辺氏が「離党して首相候補になると約束した」と話し、羽田氏が「そんな話は聞いていない」と答えたため、話が壊れた>
これは当時、自宅にいた秘書の目撃談なので信憑性が高いと思いますが、田原氏も使者として謝罪に行った中山正暉氏の話として書いているので、どっちもあったのかもしれない。もしかして、寝過ごしたときの渡辺氏の電話を受けたのが羽田氏だったのかも。