21世紀の歴史が書かれるとき、2008年9月15日は世界史を変えた日として記録されるだろう。あのときリーマンを破綻させていなければ・・・というhistorical ifを多くの人が繰り返したが、当事者がどう判断したのかはよくわからなかった。本書は、その内幕をWSJの記者が当事者へのインタビューによって明らかにしたものだ。WSJに要旨が出ている。

本書によれば、災厄をもたらした主犯はバーナンキでもポールソンでもなく、議会である。バブルで大もうけした投資銀行を税金で救済することは許さない、という議会の圧力と闘い、取引を行なうことにポールソンは大部分のエネルギーを費やした。9月7日のファニー・フレディの国有化で「バズーカ」を使い果たして、彼は翌週のリーマンのときには、もうこれ以上議会を説得できないと考えていた。バーナンキとガイトナーは最後まで何とかしようと試みたが、最終的にはポールソンと同じ結論に達した。

ところが議会は、リーマンの破綻後も事態の深刻さを認識せず、銀行救済の「ポールソン案」を否決して、世界的な株式大暴落の引き金を引いた。選挙戦の最中に、有権者に不人気な銀行救済策を審議しなければならかったことが不幸なタイミングだった。しかしその後は、バーナンキは通常のFRBのルールを超えて大胆な緩和策をとり、ダメージを最小限に抑えた。

今回の危機全体をみたとき、最大の原因はやはりグリーンスパンの行なった金融緩和が長すぎたことと、金融規制がいい加減だったことに求められている。なぜ投資銀行の自己資本比率は1/30でよかったのか、なぜ格付け会社のAAA安売りにFRBもSECも対応をとらなかったのか――その背景には、投資家が市場のことを一番よく知っているというグリーンスパンの哲学があった。

バーナンキは、明らかにグリーンスパンより慎重な経済学者であり、今回の危機は彼が議長でなかったら、もっと悲惨な結果になっていただろう。そしておそらく彼以外の議長でも、長年にわたって蓄積した巨大なバブルを何事もなく収拾できたとは思われない。危機が去ったと結論するのは早すぎるが、彼を再任したオバマは賢明な選択をしたというべきだろう。