きのうの記事の続きだが、日本の自殺率がなぜこれほど高いのかというのは、かなり深刻な問題だ。それが「失われた20年」に増えたことから考えても、いま日本社会が直面している変化を象徴しているように思われる(テクニカルで長文)。

基本的な原因として自殺を名誉ある行為とする文化があり、経済的な苦境や高齢化による病気が増えたことも事実だろう。しかし時系列データでみても、1990年から10年たらずの間に1.5倍にも激増したのは、ただの不況や失業の問題とは思えない。興味あるのは、主要国の中で韓国の自殺率が日本と並ぶ高さになり、しかも同じように90年代以降、急増していることだ。以前の記事でも書いたように、日本と韓国は「双子国家」であり、両国には相違点が多いが共通点も多い。似ているのは、日本の系列や韓国の財閥に代表される長期的関係によるガバナンスが崩壊しつつあることだろう。

囚人のジレンマから協力が発生するメカニズムはいろいろ知られており、世間ではアクセルロッドの「しっぺ返し」が有名だ。しかしこの戦略は1対1の対戦では強いが、多人数になるとつねに裏切る「邪悪」な戦略のほうが強い。合理的なゲーム理論では、一度裏切った相手を裏切り続ける「引き金戦略」のほうがサブゲーム完全な戦略で、有効だと考えられている。

しっぺ返しと引き金はよく似ているが、大きな違いがある。前者が裏切った相手を裏切り、協力するとまた協力するのに対し、後者は一度裏切った相手は二度と許さないことだ(このため容赦ない(grim)戦略ともよばれる)。この戦略は強力だが、誰が裏切り者かという情報をコミュニティのメンバーが共有している必要がある。神取(1992)が示したように、このメカニズムを多人数の進化ゲームで実装するためには、社会の全員が全員の評判を知るデータベースが必要だ。

日本と韓国が似ているのは、このような人事情報がきわめて濃密に共有されていることだ。サラリーマンの飲み屋の話題の半分以上は人事の話で、「あいつは変な奴だ」とか「問題を起こした」といった情報は、このネットワークで急速に広がる。こうした噂は非公式なので、誤っていても本人には訂正しようがない。そしてこれが倒産とか解雇、あるいは逮捕といった形で公的に確認されると、個人にスティグマ(烙印)が押され、社会から排除される。

これに対して、アメリカに典型的にみられる西洋型の社会は、そこまで濃密に情報が共有できないので、ある州で犯罪を起こした人物が別の州に移住して犯罪を繰り返すといった問題が絶えない。この点では、日本型システムは秩序を守る点ではすぐれているのだが、一度失敗すると二度と立ち直れない。これは安倍政権で「再チャレンジ」として取り上げられたが、問題は債務の個人保証だけではなく、そういう制度を支える社会的な規範なのだ。

このような「村八分」型のガバナンスは日本に固有のものではなく、Greifが示したように、人類の歴史の大部分では引き金戦略によって秩序が守られてきたと考えられる。しかしこうしたメカニズムは、互いの評判を共有している小集団では有効だが、近世以降の欧州で複数の文化圏にまたがって貿易が行なわれるようになると有効性を失い、非人格的な市場メカニズムと法的なガバナンスに代替された。

他方、近代以降の日本では、市場での取引と組織内の長期的関係が併存し、後者においては評判メカニズムが有効性を持ち続けた。これほど人口の多い「大きな社会」で長期的関係が機能したケースは他に例をみないが、その原因は中間集団の自律性やメンバーの同質性が高かったためだと思われる。評判メカニズムは法的な紛争解決よりはるかにコストが低いので、司法制度は余分なものだった。

しかし経済活動がグローバル化し、メンバーの異質性が大きくなると、長期的関係の拘束力は弱まる。高度成長が終わると、企業の破綻や再編は日常茶飯事となるのだが、幸か不幸か日本社会の評判メカニズムはまだ強力なので、いったん「問題」を起こしてスティグマが押されると、二度と消えない。犯罪には時効があるが、評判は死んでも残る。

長期的関係を維持する引き金戦略は、一部は遺伝的なものとも考えられるが、大部分は文化的・歴史的に形成されたものだろう。日本の場合、その有効性はまだ高く、人々の脳内に深く埋め込まれているので、簡単に変えることはできない。これは「再チャレンジ政策」で解決するような生やさしい問題ではなく、日本の苦境のコアにある歴史的な変化である。異常な自殺率が示しているのは、この長期的関係の呪いが非常に大きなストレスを人々にもたらしているということだ。

この問題を解決する道は、論理的には二つある。一つは「グローバリズム」を拒否して鎖国し、市場メカニズムを否定して長期的関係を死守すること、もう一つは近代化をとげた多くの国と同じように、市場や司法などの非人格的メカニズムに切り替えることだ。自民党も民主党も前者の道をとろうとしているようにみえるが、私はそれは文字どおり自殺的な選択だと思う。