先日の記事でも書いたように、長期雇用や年功序列の原型は軍や戦時経済にある。産業報国会は企業別組合の原型となり、「従業員雇入制限例」によって職場の移動を禁止して長期雇用が義務づけられ、「賃金統制令」によって請負給(親方が職工に払う出来高賃金)を廃止して年齢別の定額給が全国一律に決められた。しかし他の国では終戦とともに戦時体制は終わったのに、なぜ日本だけ「総動員体制」が戦後も60年以上残っているのかという疑問は残る。

その一つのヒントは、本書に書かれているGHQの占領統治だろう。ドイツが米ソに分割統治され、ナチの党組織と官僚機構が徹底的に解体されたのに対して、マッカーサーは軍と内務省は解体したが、それ以外の官僚機構と天皇制は温存する間接統治の方針をとった。このため、日本の政治システムは「民主主義」になったが、行政のインフラは明治以来かわらない官僚機構が握り続けたのである。

内務省がなくなったことで大蔵省の一元支配が強まり、財閥の解体で株主支配がなくなったため、戦時の「指定金融機関」がメインバンクとなって戦後復興のコアになった。軍は解体されたが、その厳格な年功序列の階級制度になじんだ500万人にのぼる復員兵が企業に入った影響も無視できない。戦後復興の総動員体制は統制経済の主体が軍からGHQに変わっただけだったから、むしろ軍隊型システムが適応していた。それは企業の目的が明確な高度成長期にもたまたま適していたため、戦後復興期を超えて続いてきた。

この意味で日本の経済システムは、数百年の伝統をもつ分散型のコミュニティで空白になっていた中心部に戦時体制の中央集権システムが組み込まれた、かなり特異なハイブリッド構造になっている。それが戦後の一時期、成功したことは事実だが、最近ではこの集権と分権の矛盾が顕在化している。中央官庁の非効率性が指弾され、「地域主権」が重要なテーマになっている現状は、このハイブリッド構造がうまく機能しなくなり、分散型システムに統一すべきだということを示しているのではないか。

本書はこのような経済システムを論じているわけではないが、著者も占領体制を論じるとき「東京裁判史観の否定」か「アジア諸国への謝罪」かといった、戦争の実態を知らない人々の「空中戦」ばかり繰り返されるのは不毛だと嘆いている。それよりも今の日本に残っている「戦時体制の遺伝子」を認識するほうが重要だろう。