幕末というと、司馬遼太郎の小説でおなじみの英雄の活躍する世界で、今さらという読者も多いだろう。本書はそこを一工夫して、「賊軍」の側から明治維新を見る。これは『靖国史観』と同じで、坂本龍馬はテロリストであり、新撰組はテロを防ぐ警察と同じ仕事をしただけだ。

本書の主人公は、勝海舟である。勝は無役の最下級武士の子として生まれた。内職で暮らしを立て、正月の餅にも不自由する家だったという。彼が出世したのは、蘭学の知識と語学力のおかげだった。黒船が来港し、世界情勢の知識のある者が必要になったためだ。当時は幕府の身分制度も崩壊し、家柄や年齢に関係なく能力のある者が重要な仕事をまかされるようになっていた。勝が陸軍総裁として江戸城の無血開城を行なったのは、45歳のときである。

当時、西郷隆盛の率いる官軍は1万余の軍勢で江戸城を包囲し、決戦になれば江戸150万人の市民を巻き込んだ市街戦になるところだった。幕府内の大勢は徹底抗戦だったが、徳川慶喜は降伏を決め、勝はこの方針に従って西郷と会談し、慶喜の身柄の安全以外の条件はほとんど譲歩して、戦争を回避した。軍事的にも経済的にも、幕府側に利がないことを知っていたからだ。戦争でもっとも困難なのは撤退戦であり、それを平和裡に遂行した勝は、類まれな戦略家といえよう。

日本の政治にも企業にも戦略がないという嘆きはよくきかれるが、明治維新のときには勝のような戦略家が官軍側にも賊軍側にも輩出した。それは清が阿片戦争に敗れて実質的に植民地化され、黒船がやってきて、内紛を続けていては日本も植民地にされるという危機感が共有されていたためだろう。こういうときには、勝のような「ノンキャリア」が閣僚級になって総指揮をとり、大胆な戦略をとれるわけだ。

今の日本に足りないのは、このままでは壊滅するという危機感だろう。バラマキを続けても国債が順調に消化されているうちは、危機感は出てこない。そのうち政府債務が激増して「国債バブル」が崩壊し、インフレが10%を超えるようになれば、40代の首相が出てきて思い切った撤退戦ができるかもしれない。官庁にも企業にも人材はいるので、「火事場の馬鹿力」を出せば明治維新のようなレジーム転換も不可能ではないと思うが、そのためには今の政財界の首脳陣にはすべて引退してもらうことが必要だろう。