歴史的な経済危機は、新しい経済理論を生んできた。大恐慌がケインズ理論を、そしてスタグフレーションが自然失業率理論を生んだように、今回の危機も新しい理論を生むだろうし、生まないと困る。それが何かはまだはっきりしないが、週刊ダイヤモンドの書評の仕事で『アニマルスピリット』を訳本で読みなおしてみて、この本がそれに相当する21世紀の古典になるかもしれないという気がしてきた。

ケインズはマクロ経済学という分野を創造し、フリードマンは「新しい古典派」を生んだが、同じような意味で、アカロフ=シラー以後の新しい経済学は、Cowenのように経済システムを行動経済学によって理解するようになるのではないか。それは従来の経済学のように古典力学をモデルとするものではなく、むしろ認知科学に近い。「アニマルスピリット」という言葉がケインズの用法を逸脱した拡大解釈だ、という批判はもっともで、これは行動経済学のフレームと呼んだほうがいい。

今回の危機についてのアカロフ=シラーの説明が、メタファー理論と似ているのも偶然ではない。経済学者は、金融市場では効率的市場仮説で決まる「正しい」価格と現実の(まちがった)価格の裁定でトレーダーがもうけると想定しているが、こうした仮説はこれまでも検証されたことがなく、今回の危機で完全に否定された。事実は逆で、まず「AAAの金融商品を買っておけば必ずもうかる」という物語=メタファーが市場で広く信じられ、その中身がわからないまま「ガマの油」が大量に売られたのである。

この理論に従えば、現在の危機の本質はきわめて単純だ:もともと嘘だった物語が、嘘だとばれただけなので、こぼれたミルクを元に戻すことはできない。中央銀行の本質的な仕事は金利や通貨供給の調節ではなく、市場の信頼を取り戻して新しい物語を再建する監督政策だ(これは竹中平蔵氏の経験とも一致する)。したがってマクロ指標は政策目標ではなく、市場の信頼を取り戻すための手段の一つでしかない。

物語が嘘だとばれるのは一瞬だが、人々が新しい物語を本当だと信じるには長い時間がかかる。それは政府の力だけではだめで、多くの腐った銀行や企業が整理され、人々が「膿みは出つくした」と信じるまで、アニマルスピリットは出てこない。行動経済学の多くの実験が明らかにしたように、人々は効用関数を計算して最適化しているのではなく、まずフレームを決めてその中で行動するので、国民が同じフレーム(意味)を共有することが経済の正常化の第一条件である。

池尾・池田本の副題を「金融危機経済学」としないで「金融危機経済学」としたのは、金融危機を経済学で分析するだけでなく、金融危機に経済学が学んで自己革新しなければならないという意味だが、今回の危機が30年代のケインズ理論のようなイノベーションを生めば、悪いことばかりでもない。昔の経済学者は、新しい理論のヒントを物理学の教科書に求めたが、これからは言語学や脳科学に学ぶ必要があるかもしれない。