GMの倒産は、まるでジャンボジェット機が墜落するのをスローモーションで見るようなアンチクライマックスだった。この元凶は、金融危機でもなければ労働組合でもない。それは20世紀初頭に始まった垂直統合の時代のあまりにも遅すぎた終幕であり、本書が「経営のバイブル」として賞賛された1960年代から、ゆっくりと没落は始まっていたのだ。6年前にForesightに書いた『GMとともに』の書評を抄録しておく:
著者アルフレッド・スローンが社長になった1920年代の自動車産業では、フォードが圧倒的なシェアをもち、GMは買収・合併でできたメーカーの寄せ集めだった。各部門が無秩序に生産を拡大したためGMは経営危機に陥り、デュポン社に買収された。著者は、これを建て直して各部門を製品別の「事業部」として利益を計上させ、その業績によって再編するシステムを作った。
 
著者がGMを管理する原則は、技術でも品質でもなく「財務」である。空冷式エンジンの開発も営業部門が反対すると中止し、「技術よりもスタイリングのほうが重要だ」と公言する。フォードが低価格の単一車種(T型)を大量生産したのに対し、GMは高級車(キャディラック)から大衆車(シボレー)まで価格帯ごとに車種を振り分け、市場を分割した。さらにGMは、自動車を大量消費社会のサイクルに組み込んだ。車を買う資金を消費者金融で融資し、早めに中古車として下取りして新車を売り込み、陳腐化させるために毎年モデル・チェンジを行う――こうした自動車産業に独特の生産・流通システムはGMによって生み出され、今もほとんど変わっていない。
 
本書に一貫している経営手法は、著者のいう「競争」の建て前とは裏腹に、垂直統合型の巨大組織を統治し、大衆の消費行動をコントロールする計画経済システムである。たとえばGMは、系列ディーラーが新車を中古ディーラーに卸すことを禁止し、車を買うための消費者金融もGMの子会社が独占した。こうした反競争的な行動を司法省や議会に批判されると、著者は「自由競争」を理由に反発する。経営陣が本書の公刊を止めようとしたのも当然だし、マイクロソフト社のビル・ゲイツ会長が本書を「最高の経営書」と絶賛するのもうなずける。
 
しかし、こういう独占企業が賞賛されたのは、まだ米国の自動車産業が世界市場で圧倒的な優位を誇っていた時代のことだ。1966年に著者が世を去ったころから、巨大化したGMでは、財務官僚に独占された本社の管理部門の権力が強まって現場の活力が失われ、品質が低下する。そしてGMの作った大量浪費システムは、70年代の石油危機で決定的な打撃を受ける。かつて自由競争の名のもとに政府の介入を拒否したGMは、日本車との競争にさらされると、輸入制限などの保護を政府に要求し、それによって米国の自動車産業はさらに競争力を失った。
 
本書は、米国自動車産業の栄光と没落というドラマの前半だけを読むような感があるが、そこにはすでに没落の原因が見えている。読み物としては無味乾燥で、現代の経営に応用できるノウハウが書かれているわけでもないが、40年後の今に通じる教訓があるとすれば、企業を計画することはできても、市場を計画することはできないということだろう。独占企業の最大の敵は、政府でも反トラスト法でもなく、グローバルな競争である。
垂直統合を第1の産業分水嶺とすれば、1970年代以降の企業の「脱統合化」は第2の産業分水嶺である(Piore-Sable)。恐竜的な巨大企業に代わって分散的なケイレツ構造による柔軟なコーディネーションを実現した日本の製造業は、第2の分水嶺の時代のヒーローだった。しかし、いま起きているグローバルな水平分業の再編成が第3の産業分水嶺だとすれば、内向きの「すり合わせ」ネットワークの延長によってそれに対応することはできない。世界の製造業の中心が新興国に移った今、「ものづくり」にこだわることはGMの轍を踏むことになろう。

かつて滅びゆく恐竜とみられたIBMが製造部門を切り離し、グローバル企業として立ち直ったように、GMも現経営陣をすべて追放し、労組をつぶして生産拠点を海外に移転すれば、21世紀型のグローバル企業として生まれ変わるかもしれない。日本が学ぶべきなのは、このような巨大企業の破産を許容するアメリカ政府と資本主義の懐の深さである。