先週、ボストンカレッジの卒業式で行なわれたバーナンキの演説が話題をよんでいる。彼は「きょうは金融政策については何も話さない」と前置きして、次のように語る(Murray Hill Journal訳):
天気予報がそうであるように、経済予測というものも、極めて複雑なシステムやランダムに発生するショックと対峙せねばならず、我々が持っているデータや理解は常に不完全であると思い知らされる。見方によっては経済予測は天気予報よりも難しいかもしれない。なぜなら、経済というものは物理学の法則にしたがって行動する分子の集合体ではなく、おのおのが未来を考えおのおのが独自の予測に影響されて行動を起こす人間の集合体であるからだ。
人間の行動が、脳という地球上でもっとも複雑なシステムによって決められる以上、その複合である経済の動きが単純な関数関係として表現できるはずがない。そう表現しないと分析できないことは確かだが、脳をすりつぶして成分を分析しても何もわからないように、見かけ上の定量的な関係は本質的な問題を隠してしまう。Daily Capitalistも指摘するように、これは1930年代にハイエクやミーゼスがケインズを批判した点だった。バーナンキはこう続ける:
何が起こるかをコントロールできないというのは、あきらめや宿命論の根拠になるかもしれないが、私はまったく違う教訓を引き出すようおすすめする。あなたがたが直面する困難やチャンスをコントロールできる範囲は限られているが、人生が与えたチャンスを(個人的あるいは職業的に)活用できるように心の準備をすることは自分でコントロールできる。
「新自由主義が終わってケインズが復活した」といった素人談義とは逆に、主流派の経済学者がオーストリア学派の懐疑主義をまじめに受け取りはじめている。今回の危機をもたらした一つの原因は、金融技術によってすべてのリスクが管理できるとか、金融政策で経済は完璧にコントロールできるという"pretence of knowledge"だった。金融工学や経済学の予測は不完全だということを前提にして、バーナンキもいうように「予期できない事態に対して心の準備をする」制度設計を考えなければならないのだろう。