韓国の盧武鉉・前大統領が自殺した。韓国の大統領が引退後、訴追されることは珍しくもないが、自殺というのは初めてだ。死者に鞭打つようで恐縮だが、韓国という国はいつまでたっても成熟できないのだなという感を強くする。
日本と韓国は、ほとんど管理された実験のような「双子国家」である。遺伝的にはほとんど同じでありながら、その民族性は対照的だ。日本人は感情を表に出さず、自己主張しないが、韓国人は感情の起伏が激しく、敵を徹底的に攻撃する。明治以降、日本は非西欧圏ではほとんど唯一、自力で近代化を果たしたが、李氏朝鮮は近隣各国の侵略を受け、最終的には日本の植民地になった。
その原因は、李朝の「儒教原理主義」ともいうべき統治機構が500年以上にわたって続いたことだとされる。儒教では皇帝と官僚機構を頂点とする階層秩序を想定しているが、中国は大きすぎるため、それほど厳密な階層構造はできなかった。これに対して李朝は極端な中央集権制で、政治・経済を支配する両班とよばれる特権階級が派閥抗争を繰り返したため、李朝の末期には国家の歳入が約700万円(日本の1/40)、学校も道路もほとんどなく、人口は100年で7%減るという現在の北朝鮮のような状況だった。
この原因は、生態史観によって説明できる。日本と西欧はアジアの中心部の乾燥地帯をはさんで対称な位置にあり、遊牧民による征服の脅威をあまり受けなかったため、文明が自発的に遷移した。特に農村や都市などのコミュニティが発達し、中間集団による分権的ガバナンスが機能したため、民主主義と市場経済が定着した。これに対して朝鮮は中国の直接的な支配下にあったため、つねにその脅威にさらされ、国家として成熟できなかった。戦後は南北の分割という不幸に見舞われて、軍人による統治が終わったのは1992年になってからである。
盧武鉉は、こうした未熟さを象徴する人物だった。「eポリティックス」で生まれたことになっているが、その政治手法は旧態依然の左翼的ポピュリズム。軍事政権の「過去を清算」する政策が行き詰まると、日本を仮想敵にして「慰安婦」などのデマゴギーを蒸し返し、軍事政権のように排外主義を政治的に利用した。その裏でも、軍事政権と同じ賄賂政治をやっていたわけだ。インターネットはしょせん道具であり、未熟な政治を電子化しても、その中身が変わるわけではない。
これに比べると日本は、1980年代に「戦後レジーム」が成熟してしまい、何もすることがなくなっってから20年以上が過ぎた。こっちは中間集団の自律性が高すぎるため、政治家はその利害調整しかできない。もう完全に手詰まりになったシステムをいつまでも延命している日本と、政治も経済もころころ変わる韓国は対照的だ。日本型システムは、必要な改革を圧殺するfalse negativeを生みやすいが、韓国型システムは朝令暮改を乱発するfalse positiveを生みやすい。中庸というのはないものだろうか・・・
日本と韓国は、ほとんど管理された実験のような「双子国家」である。遺伝的にはほとんど同じでありながら、その民族性は対照的だ。日本人は感情を表に出さず、自己主張しないが、韓国人は感情の起伏が激しく、敵を徹底的に攻撃する。明治以降、日本は非西欧圏ではほとんど唯一、自力で近代化を果たしたが、李氏朝鮮は近隣各国の侵略を受け、最終的には日本の植民地になった。
その原因は、李朝の「儒教原理主義」ともいうべき統治機構が500年以上にわたって続いたことだとされる。儒教では皇帝と官僚機構を頂点とする階層秩序を想定しているが、中国は大きすぎるため、それほど厳密な階層構造はできなかった。これに対して李朝は極端な中央集権制で、政治・経済を支配する両班とよばれる特権階級が派閥抗争を繰り返したため、李朝の末期には国家の歳入が約700万円(日本の1/40)、学校も道路もほとんどなく、人口は100年で7%減るという現在の北朝鮮のような状況だった。
この原因は、生態史観によって説明できる。日本と西欧はアジアの中心部の乾燥地帯をはさんで対称な位置にあり、遊牧民による征服の脅威をあまり受けなかったため、文明が自発的に遷移した。特に農村や都市などのコミュニティが発達し、中間集団による分権的ガバナンスが機能したため、民主主義と市場経済が定着した。これに対して朝鮮は中国の直接的な支配下にあったため、つねにその脅威にさらされ、国家として成熟できなかった。戦後は南北の分割という不幸に見舞われて、軍人による統治が終わったのは1992年になってからである。
盧武鉉は、こうした未熟さを象徴する人物だった。「eポリティックス」で生まれたことになっているが、その政治手法は旧態依然の左翼的ポピュリズム。軍事政権の「過去を清算」する政策が行き詰まると、日本を仮想敵にして「慰安婦」などのデマゴギーを蒸し返し、軍事政権のように排外主義を政治的に利用した。その裏でも、軍事政権と同じ賄賂政治をやっていたわけだ。インターネットはしょせん道具であり、未熟な政治を電子化しても、その中身が変わるわけではない。
これに比べると日本は、1980年代に「戦後レジーム」が成熟してしまい、何もすることがなくなっってから20年以上が過ぎた。こっちは中間集団の自律性が高すぎるため、政治家はその利害調整しかできない。もう完全に手詰まりになったシステムをいつまでも延命している日本と、政治も経済もころころ変わる韓国は対照的だ。日本型システムは、必要な改革を圧殺するfalse negativeを生みやすいが、韓国型システムは朝令暮改を乱発するfalse positiveを生みやすい。中庸というのはないものだろうか・・・