先日、CSの番組に出演したとき、キャスターの葉千栄氏がしきりに「日本はどうなってるんですか」と心配していた。上海総合指数は今年に入って4割以上も上がり、「リーマン前」の水準に戻ったのに、日本は政治も経済もグダグダの状態がいつまで続くのか・・・ときかれても、こっちがききたいよ。

なぜ中国がこんなに元気で日本がだめなのか考えてみると、たぶん中国のほうがグローバル化に慣れているからだと思う。中国には昔も今も主権国家がなく、(主観的には)世界全体に広がった<帝国>が続いてきたので、狭いコミュニティに支えられないと動けない日本人よりグローバル化しやすいのではないか・・・と思っていたら、與那覇潤氏から「中国化論序説」(愛知県立大学文学部論集57号)という論文を送っていただいた。

與那覇氏によれば、こうした中国の<帝国>的構造は宋代からのもので、中国のほうが西欧よりはるかに早くから農村共同体を超えて人々が行き来する流動的な産業社会になっていた。しかし魯迅の小説に痛切に描かれているように、国家と個人の間に中間集団のない社会では、政治が個人の生活につねに介入し、財産も権力によって恣意的に略奪される。このため個人は擬似親族による「関係」のネットワークで身を守るしかなく、安定した財産権や法の支配が成立しなかった。

これに対して江戸時代の日本は、自給自足的な農耕共同体の自律性が強かったため、こうしたタテ社会を横断するヨコのつながりがほとんどなかった。江戸時代後期から商品経済が農村に入ってきて、市場によるヨコのつながりが生まれ、それが明治以降の近代化に適応する要因になった。この意味で明治以降の近代化は、タコツボ的な農村に分断された日本を、天皇という中国的支配者をモデルにして中国化する過程だった。

しかし天皇制による<帝国>化が敗戦によって挫折したあと、戦後おこなわれたのは再江戸化だった。職工や商人などのノマドはムラ的な「会社」や系列構造に組み込まれ、「終身雇用」の正社員だけが中間集団の正式メンバーで、それ以外を周縁的な労働者として位置づける階層秩序ができた。こうした無数の中間集団の集合体として国家が構成され、政治家はその利害調整を行なうだけだった。この構造は偶然、工程の補完性の高い知識集約型の製造業と親和性が高かったため、自動車・電機・精密機械において突出した優位性を発揮した。

しかしこうした「すり合わせ」の優位はピークを過ぎ、特に情報産業では要素技術のモジュール化によって「江戸型」システムの優位性は失われつつある。成長市場である新興国向けの工業製品は圧倒的に「組み合わせ」型であり、こうした分野では自給自足的な会社のコミュニティに制約されず、グローバルに分業できる中国型ネットワークのほうが強い。

だから日本的コミュニティが瓦解した先にあるのは、アメリカ的な個人主義社会ではなく、中国のようにアドホックなネットワークがつながるポストモダンな<帝国>かもしれない。それは「グローバリズム」を罵倒する人々が恐れるほど未知の世界ではなく、中世に日本人が儒学を学び、明治期には儒教的な官僚システムをつくったように、意外に日本人の「もう一つのDNA」かもしれない。