NHKが「あすの日本」というシリーズを始めた。6日に放送された第1回は「35歳を救え」。おもしろかったのは、35歳の1万人へのアンケートだ。「転職経験がある」が66%、「会社が倒産するかもしれない」が42%、「解雇されるかもしれない」が30%と、ロスジェネ世代にとっては、すでに終身雇用は終わっているようだ。

ところが、これに対するおじさんたちの反応が鈍い。番組のテーマは「正社員をいかに増やすか」だが、その正社員の雇用を妨げている解雇規制にはまったくふれない。その代わり35歳を救う「決定打」としてNHKが提唱するのが積極的雇用政策。いかにもNHK的なpolitically correctな話だが、これだけやっても効果はない。職業訓練すべき転職者が出てこないからだ。積極的雇用政策に熱心なイギリスに取材しているが、そのイギリスの失業率は日本より高い。産業別労組によって労使関係が職域ごとに分断され、労働市場が日本より硬直的だからである。

こういう人畜無害な番組になってしまう理由はわかる。たぶんスタッフは、解雇規制の問題を取材しただろう。しかしプロデューサーが「これは危ない」と判断して落としたものと思われる。NHKに抗議に乗り込んできたり訴訟を起こしたりする「プロ市民」の、もっともきらう問題だからである。その代わり、これでもかこれでもかと「ワーキングプア」の悲惨な生活が映像で描かれ、「彼らを救え」という無内容なヒューマニズムがコメントで繰り返される。それには誰も反対しないからだ。

NHKの番組では「物への投資から人への投資へ」と言っているが、日本で人的資本への投資をさまたげているのは、そのリスクをヘッジする手段がないことだ。企業が設備投資するとき、その設備が使い物にならないとわかっても転売不可能で、40年近く使わなければならず、運用コストが4億円以上になるとすると、そんな設備に投資する企業はないだろう。正社員は、そういうハイリスクの投資なのだ。このように雇用のポートフォリオが無期雇用(事実上の40年契約)しかないことが過少雇用をまねいている。このリスクをヘッジする安全弁が、ワーキングプアである。

90年代の雇用問題でも、同じような報道が繰り返された。バブル崩壊の初期には指名解雇も行なわれたのだが、こうした事件はメディアの集中攻撃を受け、企業は「労働保持」せざるをえなくなった。これによって過剰雇用がながく残ったことが、不況が長期化した一つの原因だ。そしてリスクの高い新卒採用を控えて非正社員で代替する傾向が、1994年ごろから強まった。それを「小泉内閣の新自由主義でワーキングプアが増えた」などと問題をすりかえ、派遣労働の規制強化を求めたのもメディアだ。経済政策をミスリードして「失われた20年」を生み出したメディアの責任は、政治家や官僚に劣らず大きい。

今回の雇用不安でも、新聞・テレビは解雇規制というタブーに手をつけようとしない。前述のような35歳の実態が、大手メディアのエリート・サラリーマンには見えず、自分たちのような「終身雇用」が社会の少数派だということにも気づかないからだ。しかし経済誌はほぼ一致して解雇規制の緩和を提唱し、ウェブではワーキングプアを労働市場から排除する「団塊世代の既得権保護」を批判する意見が圧倒的に多い。

日本経済の抱えている問題は複雑で困難だが、すべての問題を一度に解決する必要はない。ORでもよく知られているように、特定の資源がボトルネックになっているときは、ボトルネックに資源を集中すれば全体が大きく改善されることがある。日本経済をだめにしているボトルネックが雇用慣行だとすれば、改革のボトルネックになっているのは大手メディアだ。ウェブがそのタブーを破壊すれば、事態が変わる可能性もある。