雇用問題を冷静に考える最大の障害になっているのは「労働者は資本家に搾取される弱者で、政府が救済しなければならない」という通念だ。社会主義が崩壊した後も、この固定観念は多くの人々に共有されているが、クラークはこれを経済史の計量的な研究によって否定している。

そもそもプロレタリアートがそれほど悲惨な存在なら、なぜ産業革命の時期に農業を捨てて工場労働者になる人が急増したのだろうか。答は簡単である。プロレタリアートのほうがはるかに所得が高かったからだ。クラークのデータによれば、産業革命後のイギリスで急速な成長による収益のほとんどは、単純労働者に分配された。この理由も簡単だ。労働市場の競争が激しく、労働生産性の上昇に応じて賃金が上がったからだ。限界生産力説の教えるように、労働市場が競争的であれば賃金は労働の限界生産力に等しくなるのだ。

日本でも、終身雇用が理想で戦前の労働者はすべてかわいそうな「非正規労働者」だったと思い込んでいる自称専門家がいるが、事実は逆である。明治期には、「富岡日記」にもみられるように、工場に勤務するのは誇るべきことであり、外国の指導者から技術を学ぶ創造的な仕事だった。「女工哀史」として知られる職工の賃金も、水呑み百姓よりはるかに高かった。

もちろん労使紛争はあったが、それを闘ったのは長期雇用されるサラリーマンではなかった。拙著の第2章でも書いたことだが、大正期になっても10年以上勤続する労働者は数%で、労働組合もほとんどなかった。企業との契約は親方が入札で決め、労働者は自由な職人として高賃金を求めて親方を選び、職場を渡り歩いた。職人として誇り高い彼らが、一生会社の支配下に置かれる終身雇用を望むはずもなかった。

長期雇用を求めたのは経営者だった。第一次大戦後の好況で賃金が高騰したため、鐘紡の武藤山治は「家族主義」をとなえ、医療や年金などのfringe benefitを創設した。そのねらいは熟練工を企業内に囲いこんで自由を奪い、労働市場の競争圧力を弱めることにあった。こうした経営は「日本的経営」の元祖として賞賛されたが、武藤みずから回顧録で述べているように「其動機は決して人道上からでも何でもなかつた。矢張り算盤珠からである」。

賃金を引き上げるには、基本的には労働生産性を上げるしかない。そのためには労働市場を競争的にして自然失業率を下げ、労働者が会社を選ぶ外部オプションを広げることが長期的な解決策だ。そういう改革が「ネオリベ」だとかいう下らない議論は、会社に一生しばりつけられる「社畜」を理想化する固定観念にもとづいているが、多くの調査結果が示すように、日本のサラリーマンの大部分は自分の会社に強い不満を持っている。彼らは転職のオプションが絶たれているために、会社にしがみついているにすぎない。

このような社畜状態を家族主義とか「人本主義」などという言葉で美化する傾向は、財界から労働組合に至るまで共通だが、彼らの既得権の外側にいるフリーターはそんな価値を信じていない。そしてグローバルな水平分業によって日本型の文脈的技能の価値は低下し、ポータブルな専門的技能が重要になっている。時代は、大正期の自由労働者の時代に戻りつつあるのかもしれない。
奴隷は彼らの鎖の中ですべてを失ってしまう。そこからのがれたいという欲望までも。――ジャン・ジャック・ルソー