不況についての本はたくさん出ているが、だめな本を見分ける方法は簡単だ。「市場原理主義」とか「清算主義」などという無内容なレッテルで議論する本は、読まないほうがいい。本書は山口二郎氏の主催した北大のシンポジウムの記録だが、「新自由主義」攻撃の大合唱だ(もちろんリンクは張ってない)。

山口氏は一応、政治学者だろう。小泉元首相が「私は新自由主義者です」といったことは一度もないのに、こういうレッテルを一方的に貼って「小泉・竹中の新自由主義が格差を生んだ」などと何の根拠もなく攻撃するのは、学者として恥ずかしくないか。この種の政治的レトリックは「修正主義」とか「極左冒険主義」のように社会主義国で相手を攻撃するために使われたもので、このシンポジウムの一方的なつるし上げもスターリン裁判を思わせる。

雨宮処凜氏や湯浅誠氏の列挙する非正規労働者の悲惨な実態は、その通りなのだろう。しかし「ハケンがかわいそうだ」という話を何百回繰り返しても、彼らの境遇は変わらない。問題は、どうすればそれが是正できるのかということだ。ところが政策を論じる段になると「新自由主義」という藁人形が出てきて、労組と連帯して「福祉を拡大」すれば世の中がよくなるという。山口氏は麻生政権のバラマキ財政を高く評価し、「弱者に対する再分配をバラマキとよぶのはおかしい」と怒る。

このようにGDPが縮んでゆくのを気にしないで、その再分配ばかり論じるのは、かつて日本が成長を続けていた時代のフリーライダーの論理だ。北海道のように政府の補助金で食っている土地に暮らしていると、税金はどこかから湧いてくるぐらいに思っているのだろう。「政治が悪い」とだだをこねて「みんなで団結すれば世の中は変わる」と偽の希望を語るのも、冷戦時代の万年野党的メシアニズムだ。北海道の時計は、20年ぐらい前のまま凍結しているのではないか。