IMFは、日米欧の金融機関の不良資産の評価損が4.1兆ドルにのぼり、1兆ドル以上の資本増強が必要になるという試算を発表した。ほとんどの金融危機に共通の特徴は、このような金融システムの毀損による現金制約が経済全体に大きな影響を与えることだ。したがってケインズ的な総需要管理政策に目を奪われるのは間違いで、金融システムの再建こそ最優先のテーマである。1930年代の大恐慌の原因も、有効需要の不足ではなく金融システムの崩壊だった。

こうした認識にはほとんどの実務家も経済学者も合意しているが、奇妙なことにそれを裏づける理論は存在しない。現代の金融理論は、本質的に貨幣のない経済の理論だからである。金融理論に貨幣が存在しないというのは奇異に聞こえると思うが、現代の金融理論の標準テキストとされるWoodfordは最初にこう書いている:
The basic model is one that abstracts from monetary frictions, in order to focus attention on more essential aspects of the monetary transmission mechanism, such as the way that spending decisions depend on expected future interest rates [...] I then pause at various points to consider the modifications of the analysis that are required in order to take account of the monetary frictions that evidently exist. It is shown that, as a quantitative matter, these modifications are of relatively minor importance.(p.32)
つまり金融システムの主要な役割は金利を通じた異時点間の資源配分にあり、現金制約(資産効果など)は過渡的な「摩擦」にすぎないのである。したがって貨幣は中立なので、現金制約が実質GDPに影響を及ぼすこともありえない。

ところが、いま起きているのは、大規模な信用収縮によって実質GDPがマイナス成長になり、シティやバンカメリカのような大手金融機関まで資金繰りがつかなくなる事態だ。こういう場合、彼らは「われわれはilliquidだがinsolventではない」というが、こういう状況も新ヴィクセル派は想定していない。そこでは人々はプロジェクトの割引現在価値を合理的に予想するので、流動性(liquidity)と支払能力(solvency)の区別はないからだ。

格付け会社が批判を浴びているが、彼らの財務格付けも支払能力をみるものであって、今のような状況で資金繰りがつかなくなることは想定していない。政府が支払能力を確かめるには詳細な「ストレステスト」(資産査定)が必要だが、その場合にも現在のように債券市場が崩壊している状況で資産を査定する基準はむずかしく、単純に時価評価すると軒並みinsolventになってしまう。

こう考えると、昨今の非伝統的な金融政策の意味も理解できる。新ヴィクセル派的な観点からは、資金需給はすべて金利に反映されるので、資金需要の飽和しているゼロ金利状況で流動性を供給する意味はないが、solvent but illiquidな銀行にとっては意味がある。特に不良資産を償却するときは、一時的にバランスシートが悪化して流動性制約に直面するので、中央銀行がゼロ金利で大量に資金を供給することはこの制約を緩和し、不良資産の処理を支援する効果がある。

したがって日本の2000年代のゼロ金利・量的緩和は、狭義の金融政策としてはほとんど効果がなかったが、「金融システムの動揺を回避する効果」は大きかったというのが、白川総裁の評価だ。この当たり前の話をマクロ経済学にどう取り入れるかが、今回の危機の教訓を生かして経済学が「役に立つ学問」になるかどうかの分かれ目だろう。