趣味の悪い邦題がついているが、原題は"Trade-offs: An Introduction To Economic Reasoning And Social Issues"。経済学は複数の目的のトレードオフの中から何を選択するかを考える学問だが、世の中にはそういう相対化を否定し、特定の目的がすべてに優先すると主張する人が多い。

特に多いのが、本書も指摘する「命は何よりも尊い」というレトリックだ。建築基準法が過剰規制だというと、「人命のために企業活動が制約されるということが池田先生には許せないのだと思います」などとからんでくる弁護士がいる。彼らはこのように人命と企業活動のトレードオフを考えること自体を許さず、人命が絶対だと主張する。それなら自動車も飛行機もすべて禁止しなければならない。

アメリカでは医療過誤訴訟ひとつで病院がつぶれるので、訴訟を避けるためにありとあらゆる検査や治療を行なう「防衛医療」が異常に発達し、医療費が世界最高になっている。それでも訴訟リスクが避けられない場合には、患者を拒否する。同じことが日本でも起こりつつある。問題は産婦人科医の不足ではなく、手術の失敗に刑事罰を科すなど、人命のためには他のすべてを犠牲にする司法のバイアスである。それは結果的には、多くの人命を失う結果をもたらしている。

本書に出てくる例には、法律家が多い。彼らがこういう幼児的な正義を振り回すのは偶然ではない。弁護士や検事にとっては敵か味方かしかなく、トレードオフは存在しないからだ。「過払い訴訟」で消費者金融を壊滅させた宇都宮健児弁護士にとっては、かわいそうな債務者の利益を守るためにサラ金がつぶれようが、信用収縮が起きようが知ったことではない。社会全体のバランスを考えることは、彼らの仕事ではないのだ。

おもしろいのは、本書の訳者がトレードオフを理解していないことだ。かつて朝日新聞社のメーリングリストで、私が「行政事務の電子化にすべて反対するのは無責任だ」と住基ネット反対運動を批判したら、彼は「プライバシーを守るためには現状の非効率な行政システムがいつまでも続いてもかまわない」と主張した。プライバシーは絶対的な価値であり、行政の効率化などと比較してはならないというのだ。

自称経済学者にも、トレードオフを知らない人がいる。かつて「金融政策のコストはゼロだから、日銀が通貨を無限に供給しろ」と主張した人がいたが、実際に過剰な金融緩和をやった結果、円キャリー取引によって日本から流出した資金が、アメリカの住宅バブルを加速した。Acemogluも指摘するように、財政・金融的な安定化政策は非効率な企業を延命し、資源配分の効率を低下させる。いま問題なのは、15兆円の財政政策による便益(需要拡大)と、その費用(財政赤字や生産性の低下)のトレードオフを踏まえて、どういう政策を選ぶかである。景気対策の便益ばかり強調し、まるで費用が存在しないかのような政府の宣伝は国民を欺くものだ。