昨今の銀行国有化をめぐる議論は、シティバンクを決済銀行にしている私としては他人事ではない。米政府はまだそこまで踏み切っていないが、グリーンスパンも国有化を支持する状況になり、もう時間の問題だろう。預金者として気になるのは、このまま放置すると自己資本がBIS基準を割り込んで海外営業できなくなることだ。とにかく自己資本を強化してほしい。

そういう個人的な理由もさることながら、もう国有化しか選択の余地はないと思う。Hart-Shleifer-Vishneyの基準でいうと、完備契約が可能であれば、国有化する必要はない。銀行の資産査定が厳格にできて経営者の行動を規制でコントロールできれば、民間企業のまま規制すればいいのだ。しかし現状では非常に大きな不完備性が生じ、特に資産価値が外部からまったくわからない状態になっているので、政府が介入して資産査定をやらないと処理できないだろう。

むしろ問題は、国有化が最終解決にならないことだ。日本では1998年の「金融国会」で長銀の国有化が決まり、次いで日債銀が国有化された後も、他のメガバンクは依然として「自己責任」による不良債権処理を続けていた。これについて2002年、柳沢金融担当相と竹中経済財政担当相が対立し、柳沢氏が更迭されて竹中氏が金融担当相を兼務し、「竹中プラン」で強制的な処理を打ち出した。結果的には、りそなを救済したりして、それほどドラスティックな処理はしなかったが、この「脅し」によって銀行が最終処理を加速した。

今回もシティとバンカメが国有化されることは避けられないとしても、その範囲をどこまで広げるかがむずかしい。「スウェーデンは国有化で片づいた」とよくいわれるが、これはアメリカでいえば地方銀行ぐらいの規模で、あまり参考にはならない。すべての米銀を国有化したら、財政が破綻してドルが暴落し、世界中に金融危機が拡大するおそれが強い。日本の経験でいうと、個別の介入より竹中プランのようなルールの厳格化によるcredible threatのほうが効果的なのではないか。

米財務省の検討しているbad bankも、運用がむずかしい。日本でも日銀が「平成銀行」による処理を計画していたが、最初に東京の二信組にそのスキームを適用したため、「高橋治則の貯金箱に公的資金を投入した」という批判を浴びて、後退せざるをえなかった。整理回収機構も、住専処理で批判を浴びたことに対する埋め合わせとして始まったため、むやみに刑事罰を振り回す変な組織になってしまった。

こうしてみると、真の敵は銀行ではなく、勧善懲悪や自己責任を求める世論(メディア)だ、というのが日本の教訓だ。大塚将司氏もいうように、特に自己責任論に熱心だったのは日経新聞である。視野の狭い「事後の正義」が経済をだめにするのは広く見られる法則だが、不良債権処理では特にそういう感情論を排し、リスクと便益を冷静に比較衡量する必要がある。どっちにしても、シティの預金は守ってください・・・

訂正:シティバンクは、2007年から預金保険の対象になった。関係者にご迷惑をかけたことをおわびします。