本書は池・池本と競合するかもしれないと思って、アマゾンに注文した。われわれの本のタイトルも、最初は『金融危機の経済学』だったが、編集者が「あまりにもベタです」というので、今のタイトルに変えたからだ。しかし一読した印象では、あまり競合しない。われわれの本が金融産業の歴史やマクロ経済から今回の金融危機を論じているのに対して、本書はアメリカの金融システムに対象を限定しているからだ。
したがって金融規制や金融技術などのテクニカルな問題については、ほぼ網羅的に解説されているが、その背景や実体経済との関係、あるいは日本への影響などはほとんどふれられていない。特に物足りないのは、昨年の前半に出たEl-Erianでさえ指摘しているグローバルなマクロ的不均衡(需給ギャップ)にまったくふれていないことだ。かつて日本のデフレを「GDPギャップが原因だ」とし、通貨をばらまけば解決すると主張していた著者が、「構造改革派」に転向したのだろうか。
またバブルを生んだ金融緩和に甘い。FRBが2004年まで金融緩和を続けたことについては、グリーンスパン自身が「間違いだった」と認めたのに、著者は「バブル退治の金融引き締めは景気後退をもたらす」と弁護する。住宅バブルの一因が円キャリー取引だったことは認めながら、その原因になったゼロ金利・量的緩和とドル買い介入にはまったくふれていない。著者は認めたくないのかもしれないが、金融緩和には副作用があり、めちゃくちゃに緩和すればいいというものではないのだ。
90年代の北欧の成功例と日本の失敗例をFRBがちゃんと調査していれば、2007年夏にサブプライム危機が表面化してから翌年9月のリーマン問題までに、もう少し体系的な対応がとれたはずだ、という著者の指摘は、いささか結果論ではあるが、その通りだろう。しかし失敗から学ぶためには、まず失敗を率直に認めることが第一歩だ。日銀の山口副総裁は「2000年代初頭の極端な金融緩和が円キャリーをまねいた可能性は否定できない」と責任を認めたが、著者を先頭とするリフレ派が「レジーム転換しろ」などと日銀を攻撃した責任はどうなるのだろうか。
したがって金融規制や金融技術などのテクニカルな問題については、ほぼ網羅的に解説されているが、その背景や実体経済との関係、あるいは日本への影響などはほとんどふれられていない。特に物足りないのは、昨年の前半に出たEl-Erianでさえ指摘しているグローバルなマクロ的不均衡(需給ギャップ)にまったくふれていないことだ。かつて日本のデフレを「GDPギャップが原因だ」とし、通貨をばらまけば解決すると主張していた著者が、「構造改革派」に転向したのだろうか。
またバブルを生んだ金融緩和に甘い。FRBが2004年まで金融緩和を続けたことについては、グリーンスパン自身が「間違いだった」と認めたのに、著者は「バブル退治の金融引き締めは景気後退をもたらす」と弁護する。住宅バブルの一因が円キャリー取引だったことは認めながら、その原因になったゼロ金利・量的緩和とドル買い介入にはまったくふれていない。著者は認めたくないのかもしれないが、金融緩和には副作用があり、めちゃくちゃに緩和すればいいというものではないのだ。
90年代の北欧の成功例と日本の失敗例をFRBがちゃんと調査していれば、2007年夏にサブプライム危機が表面化してから翌年9月のリーマン問題までに、もう少し体系的な対応がとれたはずだ、という著者の指摘は、いささか結果論ではあるが、その通りだろう。しかし失敗から学ぶためには、まず失敗を率直に認めることが第一歩だ。日銀の山口副総裁は「2000年代初頭の極端な金融緩和が円キャリーをまねいた可能性は否定できない」と責任を認めたが、著者を先頭とするリフレ派が「レジーム転換しろ」などと日銀を攻撃した責任はどうなるのだろうか。