最近の雇用問題や天下りをめぐる議論をみていると、「派遣切りはかわいそうだ」とか「天下りはけしからん」といった事後の正義によって政策が決まる危険を感じる。こうした問題の根本的原因は、日本企業の成功を支えた長期的関係(会員権)に依存する評判メカニズムがうまく機能しなくなったことだ、というのが拙著の主張である。これは私のオリジナルではなく、Krepsによって理論的に明らかにされ、Greifが歴史的に実証したもので、ゲーム理論業界ではおなじみの古い話だ。個別に説明するのは面倒なので、厳密な論証は拙著の第5章を読んでいただくとして、ここでは公務員制度を考える際の参考になりそうな部分(pp.90-94)を、少し長くなるが丸ごと引用しておく:
退出障壁
いわゆる日本的雇用慣行の特徴をなすのは,終身雇用,年功賃金,企業別労働組合の3 要素であるといわれる.これらは個別に見ると必ずしも日本に固有ではなく,すべての日本企業がすべての従業員に対してひとしく採用しているものでもないが,大企業男子常用労働者については平均勤続年数は明らかに欧米よりも長く,賃金についても年齢給の要因が大きいことは多くの計量的な研究の示すところであり,企業別労組の比率が顕著に高いことも事実である.これらが日本の企業で業種を問わず一様に採用されていることは,相互の補完的な関係を示唆している.

労働者のモラル・ハザードに対して通常の市場メカニズムにおいて可能なペナルティとしては,賃金に競争的な水準以上の効率賃金(efficiency wage)を支払い,労働者の事後的な成果が目標を下回った場合には雇用契約を打ち切るという戦略が考えられるが,この処罰は相対的な賃金格差によるものだから,全企業が効率賃金を支払うことは定義によって不可能である.Shapiro-Stiglitzは,このような効率賃金によって賃金水準が競争的な水準より高くなると非自発的失業が起き,これが結果的に労働者に対する「脅し」となってモラル・ハザードを防ぐとしたが,日本では失業率は終戦直後の一時期を除いて世界でもっとも低いにもかかわらず,労働の規律は失業率の高い国よりはるかに高い.

完全雇用に近い状態でモラル・ハザードが抑止される一因は,日本的な長期的な雇用慣行が外部オプションを禁止的に低くしている点にある.採用を原則として新卒に限り,中途採用に際しては待遇がいちじるしく悪化する退出障壁は,中途退社する労働者を労働市場から事実上しめ出すことによって労働者を企業に封じ込める役割を果たしている.また日本のホワイトカラーの賃金プロファイルは,年金・退職金などを含めればキャリアの後期に大きくかたよっており,若年労働者の賃金は限界生産力よりも低く中高年になってから逆転するため,労働者は企業に「貯金」していることになり,その大部分は中途退社によって失われる.

こうした「やりなおしのきかない」採用システムと年功序列にもとづく賃金体系は,欧米型の専門職能を基準に考えると不合理に見えるが,企業特殊的な文脈的技能に対するインセンティヴとしてはうまく機能している.一生をかけて多面的な技能を蓄積してゆくシステムのもとでは特定の専門的技能にすぐれていることは大した意味を持たず,中途採用で専門家を採用すると,新技術の導入などによってその職種が不要になった場合に処遇がむずかしく,配置転換をめぐって労使問題をひき起こす要因となるからである.この意味で,白紙の状態の新卒を採用して企業特殊的な技能を一から教えてゆく技能形成システムは,長期的・年功的な雇用慣行と不可分の強い補完性を持っている.ここでは労働者は「丁稚奉公」によって組織に対する初期投資(贈与)を強いられ,他の企業では役に立たない「会社人間」となるため,彼の企業特殊的な人的資本への投資は埋没費用となり,退出障壁はきわめて高くなるのである.

日本企業が資産や情報の共有による水平的な組織,あるいは株主の支配力の弱さなどの点で労働者管理企業の性格を持つことはよく指摘される.しかし,そうした組合組織による生産では,長期的な経営に責任を持つ経営者がいないため,組合員全員が過大なシェアを要求して資本蓄積が過少になり,また組織内の交渉問題を調停する決定権者がいないため内紛が起きて,非効率な結果をまねくことが多い.日本型組織が労働者管理企業とちがうのは,メンバーを退出障壁で長期的に拘束することによって経営にコミットメントを持たせて近視眼的な行動を抑制し,全員を会社に同化させて交渉問題の発生を未然に防いでいる点にある.

コミットメントとしての終身雇用
退出障壁によって労働者を企業に閉じこめるメカニズムは,個別の労働者をモニターする代わりに「一流企業」で得られるレントを「裏切り者」から奪うことによって契約の拘束性を確保する多角的評判メカニズム(Greif)の一種であり,このような慣行が支配的になると,そのこと自体が転職のコストを高め,雇用期間を「ラベル」とする差別的協調戦略が可能になる.この場合,ラベルと真の能力の間に実際に因果関係がある必要はなく,転職者には何らかの「問題」があるという通念――転職のコストは能力の増加関数である(有能な労働者ほど転職によって失うものが多い)という事前確率――が成立していれば,労働者は一つの企業にながくとどまることによって自分の能力をシグナルする誘因を持ち,それによってこの通念は「自己実現的な予言」として成立する.

しかし,このような労働者に一方的に不利な雇用環境においては,労働者の過少投資が生じるおそれがある.もしも企業が自由に労働者を解雇するならば,企業特殊的な技能に投資することは,みずから労働市場における価値(一般的な専門職能)を下げて外部オプションを閉ざす愚かな行動だから,彼女は個人的なキャリアとならないような業務を避けるであろう.終身雇用は,企業側が解雇という交渉の切り札を放棄することによってみずから外部オプションを下げ,経営者と労働者を双方独占的な立場に置くことで企業特殊的な人的資本に投資させる戦略と考えることができる.逆に労働者側のコミットメントによって長期的な投資のリターンが保証されれば,企業は彼女の人的資本に投資し,企業特殊的な熟練の形成が促進される.企業特殊的人的資本への投資は共同投資の性格を持つから,日本的雇用慣行は労使の協調を生み出して共同投資の回収を保証する評判の運び手となっているのである.

いわゆる株式の持ち合いは,このような日本的雇用慣行の評判の運び手としての機能が企業買収によって断ち切られるホールドアップ問題を防ぐための経営者どうしの協調行動であったともいえよう.日本的雇用慣行は,集団的報復を転職者への「烙印」によって行う一種の社会的引き金戦略だから,その拘束性はどれだけ多くの企業が一致してこのような慣行をとるかという合意の強さ(事前確率)に依存するという意味で戦略的補完性を持つ.引き金戦略に参加しない企業が多くなると中途採用の差別による制裁はサブゲーム完全性を持たず,「空脅し」になってしまうからである.この合意の拘束性は企業組織の多様化によって低下していると考えられるが,補完性のもとでは新しい変異体の人口が一定の「臨界点」に達するまでは現在の局所解に閉じこめられるから,雇用慣行はそう簡単には変わらないであろう.
これを書いた12年前は、こういう雇用慣行は「そう簡単には変わらない」と思っていたが、最近の状況をみていると、非正規雇用の激増や天下り禁止といった形で崩れ始めているようだ。補完的なシステムの一部だけ崩れると最悪の状態になるので、後戻りできないとすれば、企業システム全体を変えるしかない。近視眼的な正義感による雇用規制や官僚たたきは、冷静な制度設計の邪魔になる。雇用問題は、単なる雇用だけの問題ではないのだ。ここに書いたような話は、経済学ではconventional wisdomだが、まだ政策担当者にも経営者にも理解されていないようなので、次の本ではこうした話をやさしく書き直すことをテーマにするつもりだ。