オバマ大統領の就任演説は、話の中身より膨大な聴衆の強いリアクションが印象的だった。アメリカが政治的・経済的に最悪の状況で就任する彼が期待を集めるのは当然だが、アメリカ大統領の権限は実はそれほど強くない。本書も指摘するように、大統領は最高司令官だが、宣戦布告の権限は議会にしかない。日本の法律の9割は政府提出法案だが、ホワイトハウスには法律の提案権さえない。予算も議会が提出し、大統領は予算教書で方針を提案するだけだ。閣僚も、上院が承認しなければ任命できない。おまけに大統領の与党が議会で少数派になる「ねじれ」もよくあり、党議拘束がないので「造反」も珍しくない。

このように意思決定が複雑で非効率的なのは、もともとバラバラの国(州)を集めてつくった建国の経緯による。『ザ・フェデラリスト』を読むと、連邦政府への権力の集中をきらう人々を説得するために、筆者(アメリカ建国の父)が権力を分散させることに苦労しているのがわかる。ただ結果的には「弱い大統領」にしたため、大統領が議会の頭越しに国民に訴えることが多くなり、メディアの影響とあいまって大統領の象徴的な力が強まった。いいかえると、オバマの権力は法的な権限ではなく、彼の言葉の力なのだ。この意味で、彼こそ「国民統合の象徴」といってもいい。

本来は首相が必ず多数党の党首である議院内閣制のほうが強いリーダーシップが発揮できるのだが、日本の首相の言葉の重さは地に落ちてしまった。この原因は、官僚内閣制のもとで立法と行政が霞が関に統合されているので、象徴が必要ないためではないか。日本で例外的に象徴パワーを発揮したのは小泉首相だが、あれは属人的な「芸」なので、彼が去ると元に戻ってしまった。小沢一郎氏は、細川政権の実績をみるかぎり官僚依存型なので、期待できない。日本の政治にリーダーシップを取り戻すには、憲法を改正して官僚から法案提出権を剥奪してはどうだろうか。